今朝の読売新聞は、政府・民主党が電気料金の値上げを容認する方向であることを報じている。むろん原発事故の賠償資金の手当てのためだ。
この値上げは国民の負担増となる。したがってこの値上げの幅は、他の電力会社を含め、徹底したリストラを行った上での賠償必要額を見通した上で決定する方針という。

背景には、東電の先行きの経営の不安感をなるべく除去し、東電債を中心とする社債市場、ひいては国債市場の混乱を防ごうとする意図がある。
とはいえ東電が払いきれない賠償額は、税金にせよ電気料金にせよ国民負担でやるしかない。いや東電が払う分にしても、広い意味では、東電による納税額や雇傭・消費の減少を通しての国民負担といっていいだろう。

結局のところ、この原発事故により生じた何兆円もの損失は、国民全体の損失と理解すべきものと思う。
そしていま問題になっているのは「損失は誰がどのように負担するべきか」である。この政府の電気料金値上げ策は、この「負担配分先の決定」のひとつの方針提起というべきであろう。

しかしこの「負担配分先」は、そう安易な理由により決定してはならない。ここでありそうな理由を具体的にいえば、①今後のクリーンな電力供給の安定のために、②東電の生ぬるい事故処理や従来の経営体質を糺すために、③将来的に原発をなくしていくために等。先に示した④社債・国債市場の安定のためもその一つである。さらには、⑤利権を確保するためにとにかく現体制を維持したいなどというものもある。

以上の5項目は皆それなりに説得力を有している。しかし「負担配分先の決定」に際して最も考慮すべき点は、これを「二度とこうした不幸を生じさせないようなシステムを作る」ための手段とすることではあるまいか。

そうであるとすれば、最初に「何故このような事故が起きこのレベルまで拡大したのか」を究明することが必要となる。今のところ東電の論外の経営ぶり等が槍玉に挙がっている。しかし調べてみたら「意外とそうでもなかった」という結論が出るのかも知れないのだ。

しかし究明の結果、予想どおりの結果であることが明白になれば、上記③(生ぬるい経営)が中心となってこよう。またその究明結果は、⑤(利権の維持)が絶対に許されないという結論を導く。

やはり電力会社の地域独占が諸悪の根源と思われる。発電・送電の一体経営を含め、これにより欧米の2~3倍水準という高い電気料金と生ぬるい経営が許されてきた。事故のあきれた処理ぶりから分かるように、生ぬるい経営はその経営者等をダメにする。地域独占等は、断固廃止しなければならないのである。

その見本は民営化・分社化した電電公社にある。KDDIやソフトバンクへの電話網の解放等の規制緩和を通じて、この業界にガチンコの競争体制を導入した。それにより利便性の向上や通信等の料金の引き下げが実現した。

こうした競争下にあっては、大事故を起こすと倒産に追い込まれかねない。倒産しても社会はそう困らない。競合会社が喜んでその穴を埋めてしまうのだ。
地域独占の東電はそうではない。「手抜きをしようが事故を起こそうが、社会は我々を必要としているから大丈夫」。こう考えるからである。

現在東電は、役員の報酬の半減や新規採用の停止といったリストラ策を提示している。何か勘違いがあるようだ。東電は実質的に倒産会社なのである。
とはいえ上記の①(電力の安定供給)や④(債券市場の安定)等のために、それがやりづらいだけの話。実際には、水俣病の賠償実施のためにあるチッソ(株)といった存在というべきであろう。

油断のできないのは、「賠償額は、東電がいくらリストラをしてもまかなえない。だからリストはあまり意味がない」という発想だ。そして東電が出せる金額の上限を設定してしまう。これにより、現行の地域独占体制を維持していこうというわけだ。
これは④(社債市場の安定)を口実としつつ、⑤(利権の確保)に持ち込もうとしている。そしてリストラをも骨抜きにしてしまう。利権確保組の手にかかれば、電気料金など何とでもできてしまうからである。

実はこうした話は、実質的に財政破綻にあるこの国の状況に酷似している。つまり最大の独占組織ともいうべき国が、放漫経営により財政を破綻させてしまっている。そして「財政赤字は、いくら公務員改革をやってもまかなえない」などとして、リストラ策等を放置したまま、大増税を画策している。まさに東電とそっくりなのだ。

しかし何度もいうが「増税の前にやることがある」。なにより「無駄でもいいからとにかく予算を使った者が出世する」といったふざけた公務員文化の一新だ。
さらには地方分権を通じて中央集権を廃することである。被災地の自治体のがんばりをみれば、霞ヶ関でふんぞり返っている無能な役人どもより、自治体職員の方がはるかに優秀であることが明白となっている。

その他、山ほどある無駄の徹底的な排除。これらをやらない限り、増税などとても応じることはできない。逆それさえできれば、必要な増税はいくらでも応じるつもりだ。

いずれにしても、原発損失の「負担配分先の決定」は、電力業界の今後の在り方を十分見据えたものでなければならない。そしてそれは、この国の再建をどうするかを考えるに当たって、大変な試金石となる。その意味から、くれぐれも安易な「負担配分先の決定」をしてはならないのである。