相続・不動産の森田税務会計事務所 森田義男「白紙の領収書に金額等を記入しても問題ない」。高市総務大臣がこう明言した。事実上「インチキ領収書でもかまわない」ともいうべき暴論。菅官房長官らの政治資金の使途の話である。

適正な領収書の作成や保存は、経理や税務における金銭の授受の正当性を証明する基本の手段である。この作成等の義務があるからこそ、おいそれと使い込みや脱税ができない。白紙の領収書に好き勝手に書けてしまうのであれば、不正経理がやりたい放題になってしまう。

話の経緯はこうだ。まず稲田防衛相が公表した領収書には、同一筆跡による3年間で260枚520万円分があった。管官房長官は同じく270枚1875万円の領収書である。
これにつき「赤旗」の記事をきっかけに追及を受け、彼らは次のように強弁したのだ。

政治家が政治資金パーティで寄付金を渡す際に、受付の混乱防止のために、白紙の領収書をもらう。そして後日それに金額等を記入しただけである。
先方はこちらが白紙に記入することを了解しているし、お互いの信頼関係に基づくものであり問題ない。これは従来からの慣行でもある。

冗談はやめていただきたい。信頼関係言い出したら領収書の作成自体が不要になる。そもそも信頼を得るべき相手は、政治資金の拠出者である国民のはずだ。
受付の混乱は単に段取りが悪いだけ。従来からの慣行というのも、昔からインチキだったという話にすぎない。

政治家は、政治資金収支報告書に領収書を添付する等により、お金の流れを明らかにして政治活動ぶりの点検を受ける。収支報告書への違反は重罪となる。

菅官房長官は「領収書への水増しは一切ない」などと言う。しかし水増しがないという証拠はどこにあるのか。それを証明できるのは正当な領収書しかなかろう。
そもそも白紙領収書への記入は、刑法の私文書偽造に当たる。水増しがあればこれに詐欺罪が加わるだけの話だ。だから富山県議は白紙領収書等で大量の辞任となったのだ。

しかし彼らはこれを「政治資金規正法上問題ない」と居直る。所管の高市総務相も「領収書の作成方法の規制法上の規定はないから問題ない」という。
この法の無知にはあきれる。特に定めがなければ、他の法規定や一般常識に従うという意味だ。だから白紙記入OKなどという勝手な解釈が許されるわけがない。

事実、総務省の「収支報告の手引き」にも、「領収書等は支出を受けた者が発行せよ」と明記されているという。それはあまりに当然で、白紙領収書への勝手な記入が認められれば、偽造等により裏金や横領が蔓延してしまう。

一方、彼らには「みんなもやってるのに…」という抜きがたい気持ちがあるようだ。その不満の気持ちはよく分かる。

これを脱税にたとえてみよう。確かに小さな税金のちょろまかしは多くの人がやっている。桝添前都知事がやった家族旅行代を経費に入れるというのもその一手法だ。
ではこれが税務調査で発覚したらどうなるか。それが脱税行為である以上、不運と諦め素直に追徴に応じるしかない。「他の人もやっている」は理由にならない。

彼らは、大量の私文書偽造行為を国会で認めざるを得なかった。つまり違法行為が完全に発覚・表面化してしまったのである。
そうであればもうごまかしは効かない。素直にこれを認めるしかないのだ。にもかかわらず彼らは「問題ない」と強弁し強行突破を図っている。

一般社会に白紙領収書が横行したら社会規範が崩れてしまう。それは彼らも理解していよう。
要するに彼らは、「一般社会はともかく、政権を握る我々は特別なのだ」と考えている。最近の政権の奢りは底なしとなっているのだ。

しかし「権力者は何をやっても許される」と言わんばかりのこの事態は、絶対に許すわけにはいかない。原発の反対派も賛成派も、右も左もない。この国の良質な社会構造を根底から覆しかねないこうした行為を、決して見逃してはならないないのである。

にもかかわらず、政権の顔色を窺い続けているマスコミは、この大問題の報道に完全に腰が引けている。大新聞はベタ記事だしNHKはほとんど報道しない。
テレビのワイドショウにいたっては、富山県議には強烈は批判を浴びせる一方、政権が相手となると黙りこくってしまう。

日本国は今まさに、恐ろしいばかりの勢いで堕ちていっている。そうである以上、ここは我々一人一人が、政権やマスコミをしっかり監視していななければならない。この国を壊してはならないのである。