「冤罪大国日本」シリーズの5回目。今回は具体的な事案ではなく、江田法務大臣の死刑廃止論による対応等からみる、司法関係者の許されざる怠慢を指摘したい。

元判事の江田法相が、「当面は死刑執行を命じない」と明言した。「理性を有する人間として、死刑で人の命を奪うのはちょっと違うのではないか」という、彼の死刑廃止論者としての考えによるものだ。

しかしそれは「ちょっと違うのではないか」。死刑は法が定めている。法務大臣はそれを命じるのが仕事のはずだ。法相は執行を控えるといった裁量権を有しているかのように彼は言うが、そんなものがあるとは思えない。
死刑廃止を主義とするのであれば、法務大臣などならなければいいではないか。「かっこつけ」ともいうべき発言はしたいし大臣もやっていたいなど、あまりにムシがいい。

彼の廃止論の最大の根拠は、「誤判・冤罪の可能性が内蔵されている中、取り返しがつかなくなる死刑制度は問題」、にあるようだ。
実はこうした主張は極めて多い。団藤重光元最高裁判事の手による「死刑廃止論」(有斐閣)も、「死刑廃止を推進する議員連盟」会長である元警察官僚の亀井静香代議士の主張も同様である。

さて「冤罪大国日本」の語句が示すように、死刑判決を含めこの国には冤罪は山ほどある。それが冤罪防止に向けて司法の世界が最大限の努力をした上で生じた冤罪であれば、それは致し方ないといえるであろう。

しかし冤罪の大半はそうではない。本音では冤罪であると分かった上で、体面その他の理由により強引に有罪(死刑を含む)に持ち込まれたものだ。むろんこの「人為的な冤罪」は、絶対に許されない国家的犯罪である。

そして江田法相は、その気になりさえすればこうした「人為的な冤罪」を大きく減らすことのできる立場にいる。何せ彼は法務省・検察庁のトップなのだ。
また元裁判官という経歴から、その言動は裁判所にもかなり影響を与えよう。さらに同じ内閣の国家公安委員長を通じて、警察にも働きかけることもできる。

実は「人為的な冤罪」は、警察・検察・裁判所といった司法関係者が、法規定を無視した上でのご都合主義の運用を行っていることにより生じている。
したがって法務大臣がここでなすべきことは、「法規定を守れ」というあまりに当然の指示に過ぎない。そうすることにより冤罪の象徴である人質司法や、裁判における検察の有罪の立証程度等がガラッと変わる。これで「人為的な冤罪」は激減するのである。

つまり冤罪は、最高裁・法務大臣以下の司法関係者が人為的に冤罪を創り出している。そしてこの状況を放置したまま、「冤罪が生じる可能性があるから死刑は廃止すべき」などとのたまう。まるで漫画である。

そうである以上、江田法相が「かっこいい」死刑廃止論を述べたいのであれば、まず「人為的な冤罪」減少に向けての、精一杯の斬り込みをかけた上でのものにしていただきたい。死刑執行を含め、「人為的な冤罪」よりも罪の重いものはこの世には存在しないからである。

にもかかわらず、むしろ「人為的な冤罪」を推進してきたかのような立場の人(団藤元判事や元警察の亀井代議士ら)が、死刑廃止を強く主張する。元判事の江田法相も同様といえよう。

しかし自身の身の安泰を優先するのであろう、彼等は決っして「人為的な冤罪」撲滅に向けて動こうとはしない。やろうと思えばかなりの威力を発揮する立場にいるにもかかわらずである(亀井代議士など、未だに取調べの全面可視化に反対している)。

結局これらも「冤罪大国日本」の大きな理由を形成しているのである。