柔道部の中学生が、顧問の先生に掛けられた柔道技で高次の脳障害を負ったことによる損害賠償請求が、この27日に横浜地裁で認められた。「顧問の行為と生徒の障害の間には因果菅家が認められる」として、市らに8,900万円の支払い(請求は1億8,600万円)を命じたものだ。

報道によると、国内大会の優勝経験もあるこの顧問はかなり荒っぽくやったらしい。絞め技による意識朦朧とした状態の中学生に、技を掛け続けているのだ。柔道を知り尽くしているはずの教師が、その危険性が分からないはずがない。実態は「過失」ではなく「暴行」というべきであろう。

さてこの事件には二つの重大な問題が含まれている。
まずは、この無謀をしでかした男への賠償請求が免除されている点である。理由は彼が横浜市立の中学校の教員だからである。

つまり法律(国家賠償法)では、公務員個人がいかなる悪行を行っても、「公務員が過失で損害を与えた場合は、公共団体が責任を負う」ことになっているのだ。だから先の賠償金は横浜市と神奈川県が支払う。むろん原資は税金。この男の財布は一切傷まないわけだ。

実はこの法律は、とりあえず国や自治体が賠償金を払うとしても、国等はその行為者に求償権を有すると規定している。しかしこの求償権はまず行使されたためしがない。

これは「被害者は国等から損害補填を受けているのだから、公務員個人までが賠償責任を負う必要はない」という最高裁の考え(法律解釈)に支えられている。さらには「賠償責任のリスクを課すると、公務員が積極的に働けない」とする説にも由来する。

全くのおふざけである。それは「この男が私立中学の教師だったらどうだったか」を考えれば分かる。むろん、そうであれば賠償金のほとんどはこの男が負担することになろう。この事故についての学校側の直接的な責任は認められないからだ。
全く同じ立場にありながら、公務員なるが故に、しでかした悪事の賠償金の尻ぬぐいをすべて税金にかぶせることができる。裁判所はこの恐るべき不公平をどう説明するのであろうか。

何より、こうした損害賠償請求は、「このようなことは二度と繰り返させないように」という意味も強い。しかしそれが税金負担ではさしたる抑止力にならない。
この際指摘しておきたい。この危険極まる技を掛けようとした時に、この男が「事故が起きても自分の腹は痛まない」とする悪魔の発想が、100%無かったと断言できるのであろうか。

国家賠償法のこのような解釈・運用は、司法が追及すべき社会正義の観点から到底許されるものではない。よって最高裁は、直ちにこの解釈を改めなければならない。

この事件については、もう一点指摘しておきたい。

この暴行ともいうべき「事故」につき、当然ながら県警は彼を傷害容疑で書類送検した。しかし何と横浜地検は、嫌疑不十分として不起訴処分にしたというのだ。
その後、検察審査会が不起訴不当を決定したが、同地検は再び不起訴として終わらせた。当時の法制ではこれが最終決定となる。つまり彼は刑事面での訴追をも免れているのだ。

しかし嫌疑不十分が聞いてあきれる。要するに検察は、「自身を含む公務員は、民間人に対して何をやっても許される」という発想があるとしか思えない。
役人に染みついた許されざる「官尊民卑」の発想。これは何としてでも粉砕しなければならないのである。