おそるべき判決が出た。30日の東京高裁逆転有罪判決である。この事件の一審は、裁判員裁判出だされた初の完全無罪判決であった。なされるべき「裁判員判断の尊重」を覆した上で、法をも無視したというべき論外の判決である。

これは、チョコレート缶に隠した覚醒剤約1キロを密輸したとして、覚醒剤取締法により逮捕された事件。しかし被告人は、「知人に持ち込みを頼まれたが、中身が覚醒剤とは知らなかった」と主張している(この事件の詳細は、本稿の「出ました、裁判員裁判による初の完全無罪判決」(22年6月分)ご参照)。

一般にこうした密輸事件は、目撃証言など直接的な証拠が乏しく、税関検査時の言動等の状況証拠に頼らざるをえない面が強い。
この事件も特に証拠はない。そして一審の裁判員裁判では、説明内容は変遷しているものの、「知らなかった」とする主張は一貫している、として無罪になった。        しかし高裁は「弁解が通用しなくなる度にウソの話を作った」と判断。逆転有罪(懲役10年)となったものだ。

各種の新聞報道をみる限りでは、この事件は有罪とも無罪とも断定はできない。いわば「灰色」である。
何度も述べるが、法律はこのような場合には「無罪にせよ」と明言している。強大な権限を握る捜査当局が、「黒」ないし「黒に極めて近い灰色」であることを証明できない場合には、「白」とせよと定めているのである。この規定は常識にもかなう。

一審の裁判員裁判では、「灰色」であるとしても「黒に極めて近い灰色」とまではいえない、として無罪としたものと思われる。妥当な結論といえよう。
しかし高裁は、「弁解が通用しなくなる度にウソの話を作った」と判断した。一審と同じ状況のものに、正反対の結論を導いたのである。

つまりこれは法律論でも何でもない。税関の検査で覚醒剤を発見された容疑者の言動等をどう考えるか、というだけの話である。そうであれば、このような時こそ「国民の健全な常識を反映させる」という裁判員制度の出番のはずである。

そもそも身に覚えのないことで逮捕されれば、気は動転するだろう。そしてこの場を切り抜けるべく弁解をするし、それが通用しなくなれば違う弁解を考えるはずだ。自分がその立場になって考えれば、こうした行動にはさして違和感はない。だから裁判員は、これらをとりたてて「黒」の判断材料としなかったのだ。

ところが高裁はこれを「黒」の根拠とした。確かに弁解がコロコロ変わるのは不合理であり、「怪しい」とする根拠にはなるだろう。しかしこれを「極めて黒に近い」とまで言うにはあまりに無理がある。
したがってどう考えても、この事案は法的には無罪としなければならないのである(むろん無罪といっても、「彼が絶対にやっていない」ということ断定しているわけではない)

しかしこの件で明らかなように、裁判官はとにかく「黒」にしたがる。だからこそ、今まで「有罪率99.9%」という信じられない数値が長年続いていた。
その背景には、こうした人の気持ちの理解に欠け、また自身が容疑者になることなど夢にも思わないという、非常識かつ極めて偏った裁判官ならではの発想もかなり作用している。

繰り返すが、こうした偏りからの反省に立って、「国民の健全な常識を反映させる」という裁判員制度が導入された。にもかかわず、その健全な常識に基づく無罪判決を、東京高裁はいとも簡単に覆した。これは裁判員制度の完全な否定である。

結局この判決は、今までのデタラメともいうべき刑事訴訟が、裁判員制度の導入により改善傾向を示していたものを、大きく後戻りさせてしまった。残念な限りである。
いずれにしても、この件の最高裁の判断を含め、今後とも裁判の動向を注視していきたい。