平成21年7月27日のNHK「ニュースナイン」では、放置されていた膨大な産業廃棄物(産廃)の再処理について報道していた。
岐阜市街地からそう遠くない山麓に、長年にわたり投棄されてきた膨大な産廃が、処理事業者の裏山に放置されている。この処理事業者は既に倒産。そしてこの放棄により実刑に服しているという。
現場は5年前に摘発を受け、その時点で違法投棄はストップ。緑の多い周辺の地域の環境は大きく損なわれている。現地に入るには、防毒マスクの着装までが義務づけられている。
今般、市がこの違法な産廃の除去に着手するが、総費用は100億円が見込まれている。ちなみに全国にもこうした産廃の違法投棄による放置箇所が多数あるが、これらをすべて除去する費用は1,000億円を要するという。
 報道によれば、こうした不法行為が防止できない理由として、産廃処理のニーズが強いことの他、行政による監視体制の不備、さらには法規制の不備もあげられるとのことである。
マイクを向けられた学者は、「除去費用は(直接放棄する産廃業者はみな零細業者で倒産してしまう)、除去の発注者に負担させる仕組みを作るべき」と指摘していた。

 確かに深刻な問題であり、こうした費用まで税金を投入しなければならいというのであれば、税収はいくらあっても足りなくなろう。ではこうした事態を防ぐにはどうすればよかったのであろうか。
 この結論は簡単である。何度となく「不法投棄がなされている」という通報を受けたであろう市の担当者が、あらゆる権限を動員して現地を調査し、早期に違法な投棄をやめさせればよかったのである。おそらく本件では、担当者は対応をずるずる引き延ばすことにより、これを放置(実質的には容認)していたはずなのだ。
 もし投棄中止命令に法的不備があるというのであれば、条例を制定するなり、県や国に申し入れをするなりすればよい。「不法投棄の防止」という錦の御旗がある以上、これに反対する勢力はいないはずだ。
 結局のところ、責任は市の担当者に帰着する。これを放置・先送りすれば、ますます問題が大きくなるということは誰でも分かることだ。このような放置をした担当者(さらにはその上司)は万死に当たる。市の役人は、当然の使命感、緊張感を持って職務に当たらなければならないのである。
 となれば、放置した歴代の担当者(一定の上司を含む)の全員に対して、懲戒免職に準じた大処分を行わなければならない。担当者らはその怠慢により、市に100億円に近い膨大な損失を生じさせたのだ。これが大処分の対象となるのは当然であろう。
これにより今後は、こうした問題を先送りすれば、「人事の上で致命的な大減点を食らう」ということが明らかになる。上司も監督責任を追及される。となれば役所・役人は、緊張感を持って問題に対処するようになる。こうすることにより世の中は大きく改善されていくのである。
 
 にもかかわらず、こうした市の担当者の責任追及という声は何故か上がらない。NHKの訳知り顔のキャスターはもちろん、発言していた学者も同様だ。確かに学者のいうように、大元の発注者に費用負担させようという考えは悪くなかろう。しかしどのようにして、責任割合を含めた「大元の発注者」なるものを特定するのか。ただしこれができたとしても、市の担当者の責任が減殺されるわけではない。
 一般に、マスコミも学者も役所・役人に斬り込もうとしない。要するに、彼らも本来の使命を放棄しているとしか思えないのである。