半年前に、窃盗犯に間違えられて逮捕された人がいる。これは単なる誤解で事件にはならなかった。しかしこれに関して新聞が実名入りで杜撰極まる記事を書いたのだ。
これにより書かれた人は、いかに大きな打撃を受けるか。さらにはこうした記事につき、新聞社がいかに道義・倫理に欠けた対応を行っているか、を見せつけられたのである。話はこうだ。

「サワガレ」という名の京都の小劇団が、小さな水槽が劇に必要ということになった。すると「水槽なら道路際にゴミとして捨てられているのを見た」と団員の一人が言うので、他の団員二人が自転車でこれを拾いに行った。
ところが行ってみると、そこにはビニールシートがしてあった。そしてそれをめくると水槽があったので一個拾ったところで、よく見ると他にも水槽がたくさんあった。

「あれ、これはゴミとは違うんじゃないのかな」と思ったその時に、その「ゴミの山」の前にあった店のシャッターが突然開いた。そこで一瞬「泥棒と思われる」と思って、自転車等を置いたまま逃げてしまった。
しかし冷静になったところで事情説明のためにすぐに店に戻ったところ、既に店が警察に連絡しており、即警察に連れて行かれて逮捕されてしまったというものである。

警察に連れて行かれれば、もう強引に窃盗をしたと決め付けそれを認めさせられる。何せ彼らは、窃盗犯逮捕のノルマ一件とカウントできるからだ。
それでも今回は、ゴミを取りに行ってもらったという劇団員の説明等もあって、丸二日間で釈放され、結局は事件にならなかった。誤解が解けたというわけである。

ところがシャバに出て新聞を見たらびっくり。地方版に「水槽窃盗容疑で劇団員二人を逮捕」と実名入りで記事になっているではないか。ごていねいに劇団名まで入っている。ネタ元は、逮捕当日の警察の記者クラブによる発表だ。

しかし警察が逮捕したといっても、一般にはそれが勇み足である可能性も少なくない。とりわけ近年の警察は、とにかく何でも逮捕するという傾向が強いのだ。
ところがそんなことはお構いなしに、新聞は「やった」と決め付けて実名入りの記事を書いてしまう。

特に今回のサンケイ新聞は醜い。記事を面白くするための脚色がかなり施されているのだ。
「水槽が必要となったので犯行を思いついた」、「観念して店に戻ったところを署員が逮捕した」、「出来心でやってしまったと反省している」等、事実無根のオンパレードである。

確かに「まずい」と思って逃げたのは事実だ。だから警察が「逮捕」するこすること自体は責めることはできない(しかし逮捕後の警察の扱いは疑問だらけ。でもその点はおく)。しかしこれは窃盗ではなかった。だから事件にはならなかったのだ。

しかし一度書かれてしまったものはもうどうにもならない。本人や劇団は後ろ指を指される。おもしろおかしくネットに出回る。劇団は上演中止に追い込まれる。練習場所借用も一部断られる。「犯人」のうち一人は退団してしまう。もう目も当てられない。

そこで私が、「こんなサンケイ新聞は、断固損害賠償で訴えるべき」と主張したところ、こうした事情に詳しい記者OBの人から、「まず裁判には勝てない」との説明を受けた。
裁判所は「新聞社は、警察発表を信じて書いただけであり、そこに故意・過失は認められない」と言うのだそうだ。確かに裁判所は「強い者の味方」だから、そうなるのだろう。

「ではサンケイらの記者は、道義や倫理観は持ち合わせていないのか」と聞くと、そのOBは平然と「そのとおり」と明言する。「彼らは組織に入ってすぐそうした色に染まる」のだそうだ。
そしていつの間にか、「記事の結果つらい思いをする人が出ても、警察発表に基づいて書いただけだから我々の関知するところではない」となるのだそうである。

また読者を喜ばせるための先のような脚色をやるかどうかの判断基準は、「裁判を起こされた場合に勝てるかどうか」にあるという(事実サンケイの脚色文にも、用心深い逃げが用意されている)。そうであれば、結局は新聞はやりたい放題になってしまう。そしてそれがこの事件の本質である。

私は今まで、新聞等は権力ベッタリで許せないと思っていた。しかしそれだけではなかった。自分たちさえよければ(つまり面白い記事になるのであれば)、一部の人がどのような迷惑を被ろうが「知ったことではない」と考えているという事実を、今回まざまざと教えられたのである。