今朝の読売新聞には、警察の不祥事を3件報じています。まず一面には本稿がここで題材とする事件。すなわち「トラブル発生により駆けつけた警官が、誤って弁護士を拘束した直後に、その弁護士がトラブル相手に刺殺される」という、秋田県警の大失態です。

社会面には、横浜県警が以前に「事故死」(浴槽での水死)として処理した事案が、実は多額の保険金目的による殺人事件であったことを続報として伝えています。同じ社会面には、警視庁からネットに流出したテロ関係の最高機密資料についての続報もあります。
ちなみにこの日の一面トップでは、「尖閣ビデオのネット流出」がデカデカと報じられています。どうもこの国は、警察をはじめとして、かなり情けないことになっているように思えてなりません。

さて「警官誤認による刺殺事件」を少し説明しておきます。
“弁護士の処理に根を持った男が、深夜に弁護士宅を襲った。室内でもみ合う中で、弁護士は男が持っていた拳銃のようなものを奪い取った。
そこへ駆けつけた警官二人は、「拳銃」を持っている弁護士を犯人と誤認し、彼を取り押さえた。その間に、男が突進し持っていた刃物で弁護士を刺し殺した”。

まあ「やむを得ない」ようにも思えますが、結果としては、警官の行動が殺人を可能にしたことになります。
 素人的に考えても、侵入者がどちらかが分からなかったのであれば、双方の行動を警戒するべきでしょう。警官は二人もいたのですから。被害者が「拳銃」を持っていたとしても、その服装はパジャマ(寝間着)だったはずです。一方的に加害者の決めつけを行い、それにより殺人を許してしまったこの警官の行動は、あまりにお粗末というより他ありません。

 にもかかわらず県警捜査1課長は記者会見でこう発言しています。
「どちらが犯人か分からなかった。助けることができなかったのは事実だが、警察官の行為は適切だった」。これが「適切!」。全くもって、あきれ返る非常識さです。

 むろん彼は「警察には責任はありませんよ」と言いたいわけです。そしてその背景には、「私ら管理職は、この事件で処分の対象されるのはイヤですよ」があります。とにかく役人は「御身が大事」。とことん「責任をとる」ことを嫌うわけです。

 しかし今は「何が起こったのか」という報道の段階。記者も読者も責任問題などほとんど考えていません。
 したがってせめて「どちらが犯人か分からなかったとはいえ、結果として殺人事件を見過ごしてしまったことは誠に残念。とりわけ遺族の方には申し訳ない気持ちでいっぱい」、程度の発言とすべきでしょう。

こうした発言を聞いても、「そうだお前が悪い。責任をとれ」とは誰も言わないと思います。
また警察は、遺族から損害賠償請求を受けることを懸念しているのかもしれません。しかしこの発言は、あくまで道義的な謝罪を行ったものです。それが損害賠償に直結する「法的責任を認めた」とはなりません。

事実、先に示した保険金殺人事件を見逃してしまった横浜県警は、こう言っています。「(風呂での水死に)検死官を派遣しなかったことは痛恨の極み。(中略)被害者や関係者に大変申し訳ない」。
こうした発言を聞けば、「警察とはいえ、人間のすることだからミスはあるよ。それはそれとして今後の捜査に期待したい」と素直に思います。

一方の秋田県警の発言。これには「責任逃れ」以外にも、「俺たちは偉いんだ。だから民間人などからは文句を言わせない」といった驕りが透けて見えてきます。
警察幹部からこうした公式発言がなされれば、秋田県警全体から謙虚さが失われましょう。いわば昔でいう「オイ、コラ警官」の復活です。となればいよいよ民心は警察から離れていきます。

結論を言います。この発言をした捜査1課長は、その発言の故に大降格処分を行うべきです。民心が警察から離れるということは、(捜査に民間の協力が得られなくなる等)警察にとって由々しきことです。その事態を招いたことの責任を負わせることは当然のことと思うからです。