“「手で触った」か「手が触れたか」。満員電車で相手は女性。痴漢の罪に問われるかどうかは、双方の言い分を聞いた捜査官が、どう供述調書に表記するかで決まる。犯罪か無罪放免かは紙一重”。
読売新聞の看板コラムである「編集手帳」の、9月19日分の書き出しです。いやこのあきれた認識には、腰を抜かさんばかりに驚きました。

供述調書とは、被疑者が述べた内容をそのまま記載する書面です。「捜査官がどう表記するか」など問題になるはずがありません。捜査員は双方の言い分をそのまま書くしかないのです。そんなことを捜査員の胸先三寸で決められたのでは、被疑者等はたまったものではありません。

さらに「犯罪か無罪放免かは」、捜査員がどう供述調書に表記するかで決まるのではありません。双方の言い分(つまり供述調書の記載内容)や客観的な証拠等を総合的にみた上で、責任者が判断すべきことです。
そもそも裁判になれば、裁判官は、被告人がその供述調書のとおりのことを述べているということ前提に、有罪・無罪等を判断します。そんな重要な供述調書が、捜査員のご都合主義的な主観で書かれていたのでは、裁判の公正さが吹き飛んでしまいます。

とはいえ実態は全く異なります。警察も検察も(有罪に持っていきようのない人を除き)ひたすら被疑者を有罪(しかも罪はなるべく重く)に持ち込もうとします。その最大の手段が、罪の重い有罪に持ち込むことのできるストーリーを、被疑者に強要することです。

無実の人であれば「そんなことはやっていない」と否定します。しかし脅迫行為を含め、密室の中で何日も長時間攻めまくられれば、「もうどうでもいい。早く楽になりたい」と思ってしまいます。こうして捜査員が勝手に書いた供述調書に、サインさせられてしまうわけです。ちなみにそのような場になれば、私だってサインしてしまうでしょう。

そして裁判官は、このように作成された供述調書をすべて信用します。法廷の場で被告人が、「あれは強要されたもの。真実は違う」といくら主張しても、裁判官は全く聞く耳を持ちません。これで即 有罪判決です。
毎度申し上げますが、これらにより起訴された人の一審の有罪率は99.9%。「なぜ警察等は自白の強要によりデタラメな供述調書を作るのか」、という理由はここにあります。つまり供述書の体裁さえ整っていれば、裁判所がすべてこれを信用して有罪判決を出してくれるからです。

こうした実態は、ご存じない方が多いと思います。その最大の理由は、八百長裁判の象徴である「有罪率99.9%」という数値を含め、大マスコミがこれらの事実を知らせようとしないからです。

ところがここ数日間で、「強要された供述書は信用できない」とする無罪判決が2件続きました。村木元局長の郵便不正事件と、北九州市の病院で起きた「爪切り事件」です。この2件の無罪判決は、全国的にこうした自白の強要等が行われていることを客観的に示す滅多にない機会といえます。

しかしマスコミ等は、「担当した大阪特捜部等がやり過ぎた。大いに反省して今後に生かして欲しい」といった反応です。
冗談ではありません。こうした違法かつ強権的な捜査システムは、全国的かつ組織的に行われているものです。何より、これをチェックすべき裁判所が眠りこけています。ここは何と恐ろしい国なのでしょうか。

さて先の「編集手帳」氏も、そのようなことは当然知っているでしょう。しかしそれを新聞に書いていいことかどうかは別問題です。
要するに「供述調書は捜査員が勝手に書くもの」という認識が、そうした峻別をすり抜けるくらいに「編集手帳」氏には自然なことだったのでしょう。

実はこのコラムには、驚くべき記載がもう一つあります。その末尾の「有罪率99%を誇るプロ集団には、無辜(ムコ)の人に恥じぬ捜査の検証を望む。」です。つまり「編集手帳」氏は、大マスコミがタブーとしていた「有罪率99%」に、ノーテンキに言及しているのです。

ただしそれは「99.9%」ではなく「99%」です。さすがに意味するものの大きさにおののいて、「99.9%」とは書けなかったのでしょう。
むろん「99%」であれば無罪率は現状の10倍となります。さらに「99.9%」であれば裁判の八百長ぶりを如実に示していますが、「99%」ならばそこまでの断定はしづらくなります。この「0.9%」の有無には天と地の差があります。

そして「編集手帳」氏は、捜査した「99%」の数値を「捜査機関の優秀さの証し」として用いました。あきれて声も出ません。
こうなってくると、捜査機関の優秀さなるものは、「供述調書の強要を裁判官に見抜かれない」点を指すように思えてきます。さらにいえば、「捜査の検証」とは「今回の失敗を踏まえて、これをよりうまくやるにはどうすべきか」を課題としているかのようです。

いずれにしてもマスコミのこうした論調は、「今後も大いに自白の強要を継続して下さい。我々はそれに文句をつけるようなことはしませんから」と言っているとしか思えません。
大マスコミがこの二件の冤罪をきっかけとして、自白の強要等の組織的な不当な捜査を撲滅させるべく大キャンペーンをやれば、本当に撲滅できるにもかかわらずです。情けないとしかいいようがありません。