裁判官の強い誘導の成果か、無罪主張の裁判員裁判

平成21年12月11日に、被告人が無罪を主張していた裁判員裁判で、懲役8年(求刑は懲役10年)の有罪判決がありました。探偵業を営む被告人が、少年グループに指示して強盗をさせたとして強盗傷害罪に問われたものです(被告は控訴方針)。

判決は、指示を受けたとされる少年らの証言を、「具体的、迫真的で矛盾もない」と指摘。一方、被告人の主張に対しては「不合理な弁解を続け、責任転嫁しようとしている。自己の手を汚さずに目的を達成しようとして卑劣」としています。
裁判員裁判としては過去最多の7日間を要し、被告人質問も2日にわたったとのことです(12日の読売新聞の報道)。しかし後述するとおり、私はこの判決には強い疑問を持たざるをえません。

「足利事件 再審裁判の使命」のブログにも記載したように、私は今日の刑事裁判に対して極めて批判的にみています。その象徴が、検察官に起訴された場合の有罪率「99.9%」(最高裁発表)という異様な数値です。つまり裁判官は被告人に対して、絶対といっていいほど無罪判決を出そうとはしません。主な理由は「無罪判決は検察官の面子をつぶす」からです。さらには、そのような判決を出す裁判官の人事考課が一気に下がるからです。

だから警察・検察は、迷宮入りを強く批判されそうになると、適当に犯人を仕立て上げます。足利事件や富山冤罪事件(氷見事件)がその典型です。さらには面倒な捜査はやろうとしません。そのため「この人痴漢です」などと言われた人は、有無を言わせず有罪にされてしまいます。高知白バイ事件のように、警察官の失態隠しに民間人を犯人にでっち上げることも平気でやります。
それもこれもすべて、裁判官が警察等の言い分をすべて鵜呑みにして、みんな有罪にしてくれるからです。警察・検察は、こうした絶大な「信頼感」を背景に、安心して無実の人を犯人に仕立て上げることができるわけです。

このような社会的な批判をも込めて始まったのが、裁判員制度です。しかし司法関係者は、裁判員に厳しい守秘義務を設ける等、何とかお茶を濁して従来の方針を維持しようとしています。
権力追随指向の強いマスコミも、導入理由や制度の必要性等を説明しようとしません。だから一般市民の間では「何のための制度か分からない。こんなもののために会社を休もうとは思わない」と、この制度は不評です。「有罪率99.9%」だけでも報道すれば、その必要性は一目瞭然となりましょう。しかしこの数値も全く報道されていないのです。

こうした中、これが裁判員裁判における初めての無罪主張事案だったわけです。おそらく裁判官は、有罪判決を出すべく必死に裁判員を誘導しようとしたでしょう。新制度での有罪率が激変したのでは、「今までの裁判は何だったのか」と批判を浴びるに決まっているからです。

私はこの裁判について、新聞報道以外は全く知りません。しかし新聞報道をみる限りにおいては、この判決は「無罪」でなければならないように思います。
そもそも法律(刑事訴訟法)は、検察側に対して、有罪であることにつき「合理的な疑いを入れない程度の証明」を求めています。つまり「どう考えてもほぼ間違いなく有罪に違いない」と思わせるまでの立証責任を、一方的に検察側に課しているのです。しかし新聞報道からは、その立証責任を果たしているとはとても思えません。であれば、この事案は当然に無罪になるはずです。

なお被告人側は、自身が無罪であるということを証明する必要はありません。警察・検察側が何でもできる公権力を与えられている一方、ずっと拘置所に入れられているであろう被告人が、そんなことができるはずがないからです。この立証責任に関する法規定は、合理的かつ当然のことといえましょう。

さて判決の主な理由は、「具体的、迫真的で矛盾もない」という少年らの証言であったようです。しかしこの証言の調書は、裁判官に「具体的、迫真的で矛盾もない」と思わせるように、検察官が勝手に書いたものでしょう。少年はその調書に署名させられているだけのはずです。
裁判所における少年の証言も、調書の内容に沿った証言をするように(リハーサルを重ねる等により)説得(脅迫?)させられていると考えるべきです。以上の内容は検察の常套手段なのです。

また判決は、被告人の「不合理な弁解を続け、責任転嫁しようとしている」と批判し、これをも有罪の根拠としているようです。しかし被告人としてみれば、「刑務所行きになってしまうかもしれない」と思えば、これを免れようとしていろいろ言うでしょう。したがってその中には、矛盾することも少なからず出てくるはずです。
こうした「被告人が理路整然と無罪であることを証明しない限り、有罪である」とする裁判官の発想。これこそが「有罪率99.9%」の原動力というべき存在なのです。

判決後の記者会見における裁判員の次の発言は、一層「無罪」を推認させます。「証人と被告人の証言は、すべて正しいと思えた。そういう中で判断しなければならず、いろいろ考えて、自分で整理した」。「弁護側、検察側ともに言うことがそのとおりだと思って迷った」。
つまり検察側は、「合理的な疑いを入れない程度の有罪の証明」ができなかったわけです。であれば当然に無罪判決を出さなければなりません。

しかし合議の場で、裁判官が有罪方向に強く誘導したのでしょう、結果は有罪判決となりました。裁判官が裁判員に対して法の規定を正しく説示していれば、無罪に傾いていたはずであるにもかかわらずです。
そうした意味からは、弁護側がこうした刑事訴訟法の考え方をしっかり裁判員に説明できていなかった、といえるようにも思います。

いずれにしても、注目すべき否認事案の第一号判決。ほぼ予想どおりの結果とはいえ、したたかな裁判所の対応ぶりが窺えます。本来、このような事案で無罪判決が出されれば、警察等はずっときめ細かい捜査が要求され、それだけで冤罪事件は激減するはずなのですが…。
しかしまだわずかに一件目です。ここで記したような本来の発想を広めていけば、司法も捜査機関も変わらざるをえないはずです。まあ焦らずに行くとしましょう。