私は今、冤罪事件にかなり入れ込んでいる。きっかけは「冤罪File」なる雑誌の存在だ。この本は、恐ろしいばかりの冤罪大国ぶりを明らかにしている。

そこで本稿では、私も「いくら何でも」と思っていた「和歌山毒カレー事件」をみてみる。なおネタ元は「冤罪File」や、ネットによる判決文や各種の報告・意見等である。

れらを読む限りの結論をいうと、既に最高裁判決で死刑が確定している林眞須美氏も、明らかに冤罪と言わなければならない。
確かに現状では、彼女が真犯人である可能性は1~2割は残っていよう。しかしそのような場合には、法的に無罪判決を出さなければならない。その意味から彼女は明らかに冤罪なのである。

冤罪とする理由は、犯罪の証明がなされていないからである。その最大の根拠は、彼女に動機がない点にある。

確かにそれまで彼女は、夫と組んでヒ素等の利用によるきわどい保険金詐欺事件を連発し、億単位の金を稼いでいた。
しかし今回のように鍋にヒ素を混入させて大量殺人をやっても、一銭にもならない。逆にこんなことをしでかせば、今までの保険金詐欺がばれてしまうだけ。頭脳明晰な彼女がそんなことをするはずがないのである(なお住民からの阻害に対する「檄高」説は、裁判所さえも否定している)。

一方検察は、次のような間接証拠なるものをいろいろ掲げる。
多くの住民の動きからみて、鍋に毒を入れる機会があったのは彼女だけ。彼女の鍋への妙な動きを目撃した人がいる。混入されたヒ素は彼女宅等にあったヒ素と科学的に同一である。多くの保険金詐欺の経験から人命軽視の発想があった等々。

しかしこれらは、警察・検察が仕組めばどうとでもなる話に過ぎない。まずは住民等にご都合主義的な証言をさせるのはお手のもの。科学的見地など御用学者に何とでも言わせることができる。証拠の捏造も彼らの常套手段だ。
つまり検察がいうこれらの状況証拠は極めてうさん臭い。そして直接的な証拠は一切ないのである(なお、以上の詳細はネットの「和歌山毒カレー事件の冤罪疑惑」ご参照)。

では彼女でなければ、一体誰がやったのか。上告審で弁護団に加わった安田弁護士は、次のように推測している。

“鍋に入れたヒ素は135gもあったという。耳かき一杯分が致死量だから、これは大変な量になる。ヒ素を熟知している彼女なら、そんなに入れるはずがない。つまり犯人はヒ素の何たるか、あるいはそれがヒ素であることを知らない人であったはず。要するにこの事件は、食中毒を狙ったイタズラ・嫌がらせだったと考えるのが最も合理的”。

これは極めて説得力を有する見解である。とはいえこれは、彼女が絶対にやっていないという証拠になるわけでもない。つまり事の真相はまるで分かっていないのである。

にもかかかわらず、「何となく怪しい」というだけの人を死刑にするというのだ。これはもう無茶苦茶というより他ない。
繰り返すが、彼女には直接的な証拠はもちろん動機もない。さらには警察等による厳しい追及に対して、最後まで「自分はやっていない」と否認を通したのである。

このデタラメは何によるものなのか。その最大のものは警察の実力不足と面子である。

こうした凶悪かつ犯人が近隣住民と限定されるであろう事件では、警察は迷宮入りは絶対に許されないと考える。ましてマスコミ・世論は既に大騒ぎしている。
その中から林眞須美という極めて怪しい人物が浮上する。そこで警察が彼女を追及するのは分かる。しかし彼女が犯人でない場合に備えて、嫌がらせの食中毒事件としての捜査も並行して行わなければならないはずだ。

しかし今の警察にはそんな根気も実力もないらしい(テレビドラマと現実は全く違うようだ)。とにかく彼女が犯人であると決め付け、それへ向けた捜査しかしようとしない。
別件逮捕で責めまくり、家宅捜索その他を行った後に「ひょっとして違うのではないか」と思ってももう遅い。ひたすら彼女を犯人に仕立て上げるしかないのである。

なぜ警察がこのようなことをやるのか。それは何度も述べているとおり、「裁判所がそれを許し、警察のいうとおりの有罪判決を出してくれるから」である。
むろん裁判所が当たり前の無罪判決を出し、そうした捜査の不当性を指摘しさえすれば、警察はこんなデタラメはできない。「諸悪の根源は裁判所」なのである。

それはさておき、私を含む国民のほとんどすべてが、「林眞須美がやった」と思っている。彼女を悪者にした方が視聴率が取れるとみたマスコミによる報道に乗せられているのである(ちなみに悪女のイメージ造りのために、テレビは彼女によるたった1回の報道陣へのホースでの水かけシーンを、何度となく放映している)
ついでにいえば、そうした行為は警察の意向にもピタッと一致している。

いずれにしても、この事件でさえ冤罪の可能性が極めて高い。そうであれば、世に少なからず存在する「自白と状況証拠だけ」という事件は、そのほとんどが冤罪と考えるべきであろう。
この国を「冤罪大国」と称したゆえんである。