集団的自衛権行使容認へ動く安倍首相らへの批判、その2(前回の続き)である。

第三に、わが国の集団的自衛権の行使容認は、東アジア等に多大な軍事的緊張をもたらす。中国・ロシア・北朝鮮はもちろん、韓国・東南アジアといった過去の被侵略国等の多くの国々が日本に疑惑の目を向けよう。また米国すら全面的に賛同するかどうかも極めて疑問である

さらに日本の平和憲法は、それなりに「平和を愛する諸国民」にリスペクトされていたはずだ。その意味から日本人は、曲がりなりにもこれを掲げている国民として国外でも一目置かれていたようにも思う。やはり世界が目指すべきは戦争放棄なのだ。

その日本が、集団的自衛権行使に舵を切ることにより、普通の国になってしまう。「諸国民」は幻滅するのではなかろうか。
しかも憲法改正のない訳の分からない形での変更である。「やはり日本人は何をするか分からない」との疑惑が増大しかねない。

第四に、憲法の前文にあるように「われらは、平和を維持し(中略)、国際社会において名誉ある地位を占めようと思う」と考えたはずである。
であればわが国はこの平和憲法をひっさげ、世界の紛争を調停する等、外交努力により積極的に世界平和に貢献すべきだったのではあるまいか。

その手本は、過去に戦乱に巻き込まれてきたノルウェーにある。
今日この国は、世界平和に向けた仲介外交を目指している。そしてその努力は、スリランカの紛争の調停やクラスター爆弾の禁止条約締結等(自国の利害に無関係)に結実している。

その手法を具体的いえば、まず協調したNGOにより国際世論を巻き起こす。つぎに国際世論等が消極国の世論に訴える。これらにより小国が大国を動かすのである。
とはいえこの国が小国であること見透かされる等により、せっかくの成果が崩されてしまうこともあるという。それでもこの国の努力は賞賛に値しよう。

ひるがえって大国である日本の外交。その実態は、日本国憲法が課した使命を放擲した上での対米追従のみ。それ以外の外交戦略は何もないし考えようともしていない。
その理由をズバリ指摘すれば「外務省にとってそれが一番楽だから」となろう。

この米国への忠勤ぶりをみると、集団的自衛権の件も外務省による米国へのごますりの手段にみえてこよう。先の新法制局長と「安保法制懇」の座長の双方が外務省出身であることが、この推測を物語っているのだ。

第五に、平和ボケしている(これは悪いこととは言い切れない)ともいわれる日本国民に、本当に外国との戦争をも辞さない集団的自衛権行使への覚悟があるのか。

とりわけ自衛隊員には動揺が走ろう。今までは本人も親も「戦争をしないというから自衛隊員になった」という人がかなり(少なくとも半分以上)いるだろう。むろん戦争となれば殺されるかもしれないのだ。

となると多数の除隊者が生じることにより、自衛隊の規模は大幅に縮小せざるをえなくなろう。その際には徴兵制という亡霊を復活させようとでもいうのか?

いずれにしても、特攻を命令しただけで自身は安全地帯にいた昔の司令官のような立場から、上から目線で勝手なことを言っても、もはや日本国民がだまされるとは思われない。

仮に安倍首相が集団的自衛権行使に突き進んだとしても、それは遠からず破綻すると確信するものである。