平成22年1月27日に、検察審査会は不起訴を繰り返してきた検察庁の対応を覆す「起訴議決」をしました。花火大会の見物客が歩道橋の上で折り重なっての転倒で、11人が死亡した平成13年の明石市の事件についてのものです。
なお検察審査会は、裁判員と同じように、選挙人名簿から無作為に選ばれた一般人で構成されています。

この事件に関して神戸地検は、明石市の幹部3人と警備会社幹部5人、そして現場の警察官1名を起訴(すべて有罪、一部上告中)しました。しかし検察は、警察幹部については頑なに起訴しようとしませんでした。検察審査会の3度にわたる「起訴相当」の決定があったにもかかわらずです。
しかし裁判員制度のスタートと同じ去年の5月から、一定の検察審査会の決定に強制力が付与されました。そしてこの新制度により、初めて起訴権限を独占してきた検察の決定が否定されることとなったのです。

実は検察庁は従来から、身内(刑務所等)はもちろん、持ちつ持たれつの間にある警察等の関係者の違法行為については、滅多に起訴しようとしませんでした。この明石署の署長らの不起訴処分はその典型です。
検察は不起訴の理由に、「事故の予見可能性を示す証拠はない」を挙げているそうですが、理由など何とでもいえます。もっといえば、法律などどうとでも解釈できてしまうのです。

また検察は、そうしたご都合主義的解釈で、検察にとって不都合な存在を逮捕・起訴することも行います。その典型が、現役の大阪高検公安部に対する、口封じのための逮捕です。
検察内部のいざこざが原因なのでしょう、この三井公安部長は、検察内部の裏金に関して実名で内部告発をしようとしていました。そしてまさにテレビのインタビューを受けようとする当日の午前中に、検察はこじつけの理由で彼を逮捕してしまったのです。おまけに大マスコミは、彼を悪徳検事と書き立てます。これで検察の裏金問題はうやむや。世も末ですネ…。

さて私は、この強制力のある「起訴議決」に大きな希望を見いだします。例えば、刑務所内で今まで横行してきた看守による囚人への暴行等は、これによりかなり減るのではないでしょうか。
今後こうした事態が起きれば、実行犯とともに、刑務所幹部も起訴される可能性が生じるからです。となれば出世は絶望となります。これからは刑務所も、いい意味での緊張感が確保されるものと思います。

いうまでもなくこれは刑務所だけの話ではありません。検察の起訴独占に守られてきた多くの組織や権力者は、皆こうした緊張を強いられることになるでしょう。
また逆に、不当な抑圧を受けている人にとっては、これは勇気づけられるニュースとなるにちがいありません。

裁判員制度とこの新たな検察審査会制度。こうした民意の反映は、「病める司法」を救う大きな力になるものと確信するしだいです。
(愚念ながらこのコラムは、検察批判により小沢幹事長を応援する、などといった趣旨は全く有しておりません。ちなみに私も、小沢幹事長の行動には大いなる疑問を持っています。この点、誤解のないようお願いいたします)