10年くらい前からだろうか、「国益」という用語が徐々に頻繁に使われるようになってきた。一般には、「わが国全体にかかわる大切な利益」といった理解がなされていよう。
もっといえば、「国益」という用語の響きには、いわば坂本龍馬が追及していたもののごとく、汚れのない建設的なイメージがあったように思う。

しかしその使用頻度が高まるにつれ、この用語の意味する内容が、がうさん臭い方向に流れてきているように思う。つまり「国益」とは事実上「為政者側の一方的利益」を指す、という意味への変化である。
換言すれば、「国益」の意味するところが、戦前でいう「お国のため」に近づきつつある。とりわけ役所や政治家がこの用語を使用するときは、ほとんどそうした意味となっている。

おそらく「お国のため」も、初めの頃は本来の「お国のため」を意味していのであろう。しかし時代を経るにつれてこれが「為政者のため」に変質していき、ついにそれは「軍部や役所のため」とほとんど同義語となってしまった。その典型が、「お国のため」に始められた戦争である。そして「お国のため」に国民は兵隊に取られる等大変な惨禍を招いた。
そこに本来の「お国のため」という側面が全くゼロであったとは言わない。しかしそのほとんどすべてが、軍部や役所の都合や面子ためであったことは明らかであろう。

さて先頃、うさん臭い「国益」の用語使用の典型が表れた。官房機密費を管理する内閣府の役人による、「機密費公開は国益を害する」とする大阪地裁での証言である(8月14日付読売新聞)。
彼はこう言う。「機密費は国内外の難しい政治課題の解決に協力してもらう経費であり、公開すると、相手方の信頼関係が崩れ国益が害される」。そして一切の具体的使途を明らかにしなかったという。

しかし巷間いわれている機密費の使途は、与野党議員の海外旅行等への餞別、特殊な選挙応援資金、さらに最近話題になっているのはマスコミ有力者個人への贈与等である。
分かり易くいえば、濃淡はあるにせよこれらはかなり賄賂的色彩を有している(とりわけ有力記者個人に対するもの)。であれば当然に「公開すると、相手方の信頼関係が崩れる」はずだ。しかしそこで害されるのは、ご都合主義で機密費をばらまいた「政権与党にとっての一方的な利益・都合」に過ぎない。これを「国益」などおこがましいのである。

こんな薄汚い資金使途の口実に「国益」を使われたのではたまらない。これでは本来「国益」が持つはずの純粋かつ清新なイメージを殺してしまう。
その結果、この用語は次のような本来の意味で使えなくなってしまう。すなわち「機密費の使途やその相手方等を全面公開するのは無理としても、ある程度までの公開はすべき。長い目で見ればそれこそが国益にかなう」。

結局のところ、為政者側が使用する「国益」という用語は、今後は昔の「お国のため」という言葉に置き換えて理解しなければならない。そして今後われわれは、「お国のため」の美名に大半の人がだまされたという過去の轍を踏んではならないのである。