先頃(平成21年9月29日)、あきれてしまう東京高裁の判決がありました。厚労省が混合診療を禁止することは適法であると、一審判決を覆す判示を行ったのです。いつもながらの行政追随判決というより他ありません。

混合診療とは、公的医療保険が適用される診療と、適用されない自由診療を併用することをいいます。そして従来から厚労省は、この混合診療を受ける場合には、本来は保健が適用されるはずの診療も保健も適用しないとしてきました。つまり保険の適用になっていない診療を一部でも受けると、関連する保険対象のものを含め、すべて自己負担でなければならないわけです。

なぜこのように混合診療を禁止するかについては、厚労省はいろいろな理由をあげています。たとえば「これを認めれば、有効性や安全性が不十分な治療が広く行われ危険が高まる。高額な自由診療が増え医療格差を助長してしまう」等です。
その一方、世界では標準的となっている抗がん剤等の、国内の審査や承認が遅々として進んでいません。結果として希望する先端医療の利用が大きく制限されてしまい、患者らにとって深刻な問題にもなっています。そしてこの裁判の原告は、こうしたがん患者の一人が起こしたものなのです。

実をいうと、私は混合診療を禁止すべきかどうかに関しては、判断する力量を持ち合わせておりません。したがってここでその点を議論するつもりはありません。
本稿の最大ポイントは、「混合診療を禁止する法的な根拠が存在しない」という点です。すなわち厚労省は、法的な権限を付与されていないまま、勝手に混合診療を禁止しているのです。このようなことが許されるとは思えません。

法律には行政法という分野があります。その行政法の本を開くと、最初に「法律による行政の原理」という大原則が出てきます。この内容は、「行政機関が国民の権利を制限するためには、(国民の代表者が制定した)法律の規定に基づかなければならない」というものです。
換言すれば、行政機関がどんなに権利を制限する必要であると考えても、勝手な制限を行ってはならないわけです。これができるのであれば、もっともらしい理屈を付ければ何でもできてしまうことになるからです(とはいえそんな「大原則」などに言われるまでもなく、これは当然の話といえましょう)。

実はこの一審判決(平成19年11月7日付け東京地裁判決)は、「混合診療を禁止する法的根拠はない」を理由に、原告側を勝たせています。まさに先の大原則に忠実な判断を行ったわけです。そしてその際に判決は、「これは法的解釈に限った判断であり、混合診療全体の是非を判断したわけではない」といった趣旨も述べているそうです。当然かつ立派な判断・判決だと思います。

しかし前述のとおり、東京高裁はこの当然の判決を覆しました。そこでは何と、「混合診療禁止の明文規定がない中にあって、健康保険法上で禁止の解釈が可能なのか」という最大の問題に全く触れていません。その上で「種々の理由によって、とにかく禁止するべき」という国の言い分を認めただけのものとなっています。まるでお話になりません。

たとえば裁判所が、「確かに混合診療は禁止すべきである」と考えたとしましょう。であれば「主張はよく分かったが、そうあればそのように法律を改正してから禁止しなさい」と言わなければなりません。それが法律の専門家としての裁判所のとるべき対応です。本件のように「混合診療が禁止されるべきかどうか」の判断が必要な場合とは、「法律にそれに類することが書いてあるものの、その法律をどう解釈するかで争いになっている」といったケースに限られます。

いつもながらの行政べったり判決。確かに、「国を負かす判決を出すと、人事考課で大減点を食らう」という傾向が極めて強いことは事実です。しかしあえてそのリスクを冒して、一審裁判官が正当な判決を出しているではありませんか。自身の保身のみを考えたともいうべきこの高裁判決は、情けない限りです。

ところで厚労省は、なぜ法改正をやらないまま違法というべき「禁止」を続けようとするのでしょうか。理由は二つ。まずはこの禁止の明文化に困難が伴うと考えているからです。つまり「禁止」には相当の無理がある、という推測が成り立ちます。

もう一点は、この「禁止」の違法性を争われても、「裁判所が必ず厚労省を勝たせてくれる」という安心感・信頼感があることです。つまり裁判所は、行政庁の不当・違法行為の免罪符を与え続けています。今日ほとんどすべての行政庁が、違法ともいうべき恣意的行政を平然と行っている背景には、こうした安心感・信頼感の存在があります。
要するに、その意味から裁判所は諸悪の根源とも言うべき存在になっているのです(こうした面を追及したものが拙著「裁判所の大堕落」。よろしかったら是非お読み下さい)。

話が長くなって申し訳ありません。あと2点述べさせて下さい。

まずは、この不当な高裁判決に対する論評に、「法的根拠のないままの禁止が許されるのか」「禁止したければ立法の上でやれ」といった当然の主張が極めて限られている点です。(行政追随一辺倒というべき大マスコミはさておき)インターネットをのぞいてみても、こうした論調があまり(ほとんど)ないのです。

確かに、混合診療の必要性等を(その禁止論を含めて)大いに議論することは必要でしょう。しかし繰り返しますが、役人のご都合主義的見解と思われるようなもので、国民の権利が制限されていいはずはありません。わが国は法治国家なのです。「法律判断を裁判所に丸投げし、そこから出された判決をタブー視」しているからなのか、こうした本来の主張・議論がなされない状況は、いかがなものかと思うしだいです。

もう一点。この裁判を起こしたがん患者でもある一審原告は、本人訴訟(原告本人のみで裁判をすること)で闘ったということです。この原告は、裁判を起こす際に複数の弁護士に代理人を依頼しました。ところが皆に「勝ち目がない」として断られたそうです。そこでやむを得ず本人訴訟で裁判に臨みました。そして一審で全面勝訴するという大金星をあげたのです。

一体、「事件に関しての法律事務を独占」し、他の者がこうした行為を行うことを「非弁行為」と強く批判する弁護士が、この原告にみられるとおり本来必要とする法律業務を行わないということはどういうことなのでしょうか。そもそも弁護士法第1条には、弁護士の使命は「基本的人権の擁護と社会正義の実現」であると定められているはずです。

本来あるべき姿から乖離した弁護士業界。こうした不当ともいうべき対応に、猛省を促したいと思うしだいです(なおさすがに二審に関しては、弁護士が手弁当で応援したとのことです)。