「笑うな、シャラップ」。上田大使が居丈高に怒鳴ったところ、驚いた会場全体が静まりかえったという。この5月にジュネーブで開かれた国連人権機関の拷問禁止委員会でのことだ。

 わが国は6年前の前回審査でも、代用監獄をはじめとする冤罪の温床を改善すべく、同委員会から勧告を受けていた。そして今回もアフリカの国の代表から「自白に頼りすぎ等は中世の名残だ」と厳しく指摘されたのだ。

 その後に登壇した上田人権人道担当大使は、「先ほど中世という発言があったが、日本は世界一の人権先進国だ」と強調。直後に「先進国のひとつ」と言い直した。
 これを聞いた会場に静かな苦笑が広がった。そこで冒頭の「シャラップ」が飛び出たわけである。

 最初に指摘したいのは、日本が自白偏重といった「中世並みの刑事司法」は歴然たる事実で、この点は海外の関係者ではよく知られているという点である。その挙げ句が有罪率が99.9%なのだ(一昨日も「自白が信用できる」として長崎ストーカー事件で死刑判決が出ている)。

 さて外務省の話だ。一般に役人という人種は、本来の任務遂行よりも「自分がいい思いする」ことに力点を置いている人が多い。そして外務省は、この点につき群を抜いている。

 彼らは国内にいるときは普通の公務員並みに行動する。ところが国民の目に触れない海外に出るとたががはずれてしまう。おまけに米国等ごく一部の枢要な国を除く大使館は、パーティの開催と日本からの要人の世話の二つを除き、全く仕事をしていないに等しいというのだ。

 そもそも彼らは、若いときの公務員試験で出世コースが決まってしまう。だからその後は努力はしないようだ(例外もあろうが)。だから何と、彼らは総じて語学がダメというのだ。
 語学に自信がなければ、外部から有力情報を収集することはできない。人脈形成の場であるはずのパーティの場でも、日本人だけで集まってこそこそやるケースが多い。招待客はこれを見てあきれているという。

 また現地の日本人社会では、大使をトップとするヒエラルキーが構成されている。背景は大使館内での強大な人事権と外部での大使館の権限だ。したがって大使は、王侯貴族のような立場にいるらしい。
 上から抑圧される大使館員は下にきつくあたる傾向が強い。だから旅行者らが大使館に行くと、ほとんどが不愉快な思いをさせられる。

 さて先の上田大使は。ポーランド等の大使を歴任の後この人権人道大使なるものに就任した。
 しかしこの御仁は、この国の刑事司法が「中世状態」にあることを全くご存じなかったらしい。これなど少し勉強すればすぐ分かるにもかかわらずである。

 何より「シャラップ」は、いわば「てめえ、黙りやがれ」と訳すべき論外の表現なのだそうだ。彼は真っ当な英会話すらできないのだ。
国連の会議場での、自国の実情に無知な「人権大使」による暴言。この失態は国際社会に計り知れないダメージを与える。それは一連の橋下発言に匹敵するとの声すらある。 

 しかしこの一面トップで報じられるべき大失態も、マスコミは報道しようとはしない。実は海外で羽を伸ばす外交官らは、多数かつ深刻な交通事故やわいせつ事件等を起こしているという。しかしこれらは役所のもみ消しやマスコミの報道自粛で、ほとんど国内に伝えられることはない。

 確かに、このような楽チンかつ責任を追及されることもない職場で王侯貴族の立場を与えられれば、人間性が壊れてしまうのも無理もないのかもしれない。

 さてもう一つ「不祥事ではない」は、言わずと知れた元駐米大使の加藤コミッショナーの発言である。彼は自身で作らせた飛ばない統一球を、一年で飛ぶボールに変えてしまうのは恥などと思ったのか、この変更の隠蔽を図った。

 しかしその変更・隠蔽がばれて世の大批判を浴びた際に、元大使殿は「これは不祥事ではない」と居直った。何より、「変更は部下がやったもので自分は知らなかった」と、責任を下に押しつけたのだ。

 この経緯はここで詳しく述べるまでもないが、いまこの件は大変な批判を浴びている。その対象は、元大使殿の卑怯な振る舞いに集中しているといっていいだろう。

 実は米国大使は、外務省職員の出世頭のみが就くことのできる夢のポストである。そして日本の生命線である対米外交の最前線を担うという大役を与えられている。
 その経験者でさえ、今の立場が「社会常識を体得していないと務まらない」ということが分かっていない。前と同様「何をやっても責任を追及されない王侯貴族」と勘違いしているとしか思えないのだ。

 外務省や大使OBらのこの底なしの低次元ぶり。情けない限りである。