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    <title>相続税対策専門 税理士・不動産鑑定士 森田税務会計事務所（東京都千代田区）</title>
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    <updated>2010-01-29T11:44:01Z</updated>
    <subtitle>相続人の円満・納税資金の確保・相続税の節税は、不動産に強く・税務署に強く・依頼者に優しい、相続税対策専門税理士へ</subtitle>
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    <title>ついに出た、検察審査会の強制起訴決定</title>
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    <published>2010-01-29T11:41:02Z</published>
    <updated>2010-01-29T11:44:01Z</updated>

    <summary>  平成22年１月27日に、検察審査会は不起訴を繰り返してきた検察庁の対応を覆す「起訴議決」をしました。花火大会の見物客が歩道橋の上で折り重なっての転倒で、11人が死亡した平成13年の明石市の事件についてのものです。   なお検察審査会は、...</summary>
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        <![CDATA[<p>  平成22年１月27日に、検察審査会は不起訴を繰り返してきた検察庁の対応を覆す「起訴議決」をしました。花火大会の見物客が歩道橋の上で折り重なっての転倒で、11人が死亡した平成13年の明石市の事件についてのものです。<br />
  なお検察審査会は、裁判員と同じように、選挙人名簿から無作為に選ばれた一般人で構成されています。</p>

<p>  この事件に関して神戸地検は、明石市の幹部３人と警備会社幹部５人、そして現場の警察官１名を起訴(すべて有罪、一部上告中)しました。しかし検察は、警察幹部については頑なに起訴しようとしませんでした。検察審査会の３度にわたる「起訴相当」の決定があったにもかかわらずです。<br />
  しかし裁判員制度のスタートと同じ去年の５月から、一定の検察審査会の決定に強制力が付与されました。そしてこの新制度により、初めて起訴権限を独占してきた検察の決定が否定されることとなったのです。</p>

<p>実は検察庁は従来から、身内（刑務所等）はもちろん、持ちつ持たれつの間にある警察等の関係者の違法行為については、滅多に起訴しようとしませんでした。この明石署の署長らの不起訴処分はその典型です。<br />
検察は不起訴の理由に、「事故の予見可能性を示す証拠はない」を挙げているそうですが、理由など何とでもいえます。もっといえば、法律などどうとでも解釈できてしまうのです。</p>

<p>  また検察は、そうしたご都合主義的解釈で、検察にとって不都合な存在を逮捕・起訴することも行います。その典型が、現役の大阪高検公安部に対する、口封じのための逮捕です。<br />
  検察内部のいざこざが原因なのでしょう、この三井公安部長は、検察内部の裏金に関して実名で内部告発をしようとしていました。そしてまさにテレビのインタビューを受けようとする当日の午前中に、検察はこじつけの理由で彼を逮捕してしまったのです。おまけに大マスコミは、彼を悪徳検事と書き立てます。これで検察の裏金問題はうやむや。世も末ですネ...。</p>

<p>  さて私は、この強制力のある「起訴議決」に大きな希望を見いだします。例えば、刑務所内で今まで横行してきた看守による囚人への暴行等は、これによりかなり減るのではないでしょうか。<br />
今後こうした事態が起きれば、実行犯とともに、刑務所幹部も起訴される可能性が生じるからです。となれば出世は絶望となります。これからは刑務所も、いい意味での緊張感が確保されるものと思います。</p>

<p>　いうまでもなくこれは刑務所だけの話ではありません。検察の起訴独占に守られてきた多くの組織や権力者は、皆こうした緊張を強いられることになるでしょう。<br />
　また逆に、不当な抑圧を受けている人にとっては、これは勇気づけられるニュースとなるにちがいありません。</p>

<p>　裁判員制度とこの新たな検察審査会制度。こうした民意の反映は、「病める司法」を救う大きな力になるものと確信するしだいです。<br />
  （愚念ながらこのコラムは、検察批判により小沢幹事長を応援する、などといった趣旨は全く有しておりません。ちなみに私も、小沢幹事長の行動には大いなる疑問を持っています。この点、誤解のないようお願いいたします）<br />
</p>]]>
        
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    <title>見識を疑う、メディアによる検察ＯＢの濫用</title>
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    <published>2010-01-19T13:24:16Z</published>
    <updated>2010-01-23T07:00:41Z</updated>

    <summary> 今、土地購入をめぐる政治資金規正法がらみの問題等で、小沢民主党幹事長が追い込まれています。この１月19日の大新聞では、ついに小沢氏が、東京地検特捜部の事情聴取に応じる意向を示しているとの報道がなされています。 とはいえ小沢氏は、師と仰ぐ田...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.moritax.jp/">
        <![CDATA[<p> 今、土地購入をめぐる政治資金規正法がらみの問題等で、小沢民主党幹事長が追い込まれています。この１月19日の大新聞では、ついに小沢氏が、東京地検特捜部の事情聴取に応じる意向を示しているとの報道がなされています。<br />
とはいえ小沢氏は、師と仰ぐ田中元首相らの政治生命を絶った検察庁やその手法に対して、強い敵愾心を持っているようです。したがって両者の争いが今後どのように展開していくかは、全く予断を許しません。</p>

<p>　もっとも私がこの問題自体を論じるのは、やや荷が重すぎます。ここで述べたいのはこの点ではなく、標題にも示しましたように、この問題についてのメディアの対応への疑問・批判です。</p>

<p>　テレビの報道番組の多くは、やたら検察０Ｂをゲストによび、この問題に関しての意見を求めています。それが「検察による家宅捜索や秘書らの逮捕が、どのような発想によるものであるか」といったこと等に関しての、検察の立場からの説明であれば話は分かります。<br />
しかしそうではありません。彼らに対して、中立的な法律の専門家としての考えを問うているのです。</p>

<p>　しかし長年検察庁に在籍していた彼らが、検察にとって不都合なことを言うはずがありません（ごく一部に例外あり）。多少は軽い問題点を指摘すること等により中立性を装ったりしますが、最終的には「検察庁の方針は正しい」という結論を導きます。<br />
　仮に、本音では「明らかに検察のやり過ぎ」と思っても、それを言ったら検察一家から村八分になりかねません。逆にこうしたテレビ出演で、検察の立場をしっかり守る発言をすれば、検察仲間における地位が高まるわけです。</p>

<p>　例え話です。いまＡ国とＢ国で、ある島の領土・帰属をめぐって争っています。そして第三国のメディアが、「客観的にこの島がどちらに帰属するか」を検討するとしましょう。つまり今回の話は、この領土問題に関して、Ａ国の国民を解説者に呼んできて意見を聞いているようなものです。<br />
であればこの人は、「Ａ国の領土である」というはずです。「いやＢ国の領土である」などと言おうものなら、国中から袋だたきにされるでしょう。意見を聞くなら、少なくともＣ国といった両国に利害関係のない国の人でなければなりません。</p>

<p>　こんな当たり前のことは、メディア関係者なら分かっているはずです。であればどうしてテレビ等は、客観的な立場から発言できる専門家を呼ばないのでしょうか。たとえば一般の（つまり役所の０Ｂではない）弁護士、この分野に強い学者や評論家等々です。<br />
仮に検察ＯＢを呼ぶのであれば、日頃から検察庁に批判的は考えを持っている人（鈴木宗男議員ではやり過ぎ？）にも、対等に発言の場を確保させなければなりません。現在のやり方は、あまりに不公平というより他ないのです。</p>

<p>　おそらくメディアは、こうした人との人脈がないのかもしれません。確かに、弁護士や学者等でも、しっかりした意見を言うことのできる人はかなり限られているように思います。<br />
　しかしそうだからこそ、日頃からこうした人を探しておくといった活動が必要となります。そうした姿勢さえ確立してあれば、その作業はそう難しいことではないはずです。少数でも真の実力者さえ探せば、次にその人に紹介してもらえばいいからです。そしてそれらの人との意見交換等によりその人物を見抜きます。こうした活動は、メディア人の大きなレベルアップにもつながります。</p>

<p>　しかしこうした地道な活動がなされているようには思えません。したがって公共の電波を使って、「検察の行動の是非を検察ＯＢに聞く」といった不見識極まることを平気でやるのでしょう。さらにいえばその底には、根深い権力への迎合体質までが垣間見えます。<br />
いうまでもなく、これは許されざる世論の誘導です。これでは検察に攻められている側は、たまったものではないでしょう。<br />
　<br />
いやここまで書いて湧いてきたのは、一体マスコミ関係者は、これが「どれほど罪深い行為であるか」について、あまり理解が及んでいないのではないのか、という疑念です（よもや「役所を退職したのだから公平な発言をするはず」、とまでは思っていないと思いますが...）。<br />
おそらく、「近年の番組制作料の削減によって手間を掛けられない」とか、「やたら忙しい」や「手っ取り早い視聴率アップが求められている」といった、さまざまな事情も介在しているのでしょう。</p>

<p>しかし仮にそうであるとしても、メディアの社会的責任を考えると、以上述べた状況はとても許されるものではありません。<br />
ここは関係者に猛省を促すとともに、その一大奮起を期待しておくこととします。<br />
</p>]]>
        
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    <title>「士気低下」を口にする,役人の思い上がり</title>
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    <published>2010-01-10T07:55:38Z</published>
    <updated>2010-01-12T10:36:48Z</updated>

    <summary> この1月９日の読売新聞は、経済産業省の事務次官から、「政治主導の生策決定により、役人の士気が低下しているとの懸念」が示されたことを報じています。各省の事務次官と官房長官との会合の場での話です。 経産次官の発言内容は次のようなものです。「旧...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.moritax.jp/">
        <![CDATA[<p><br />
この1月９日の読売新聞は、経済産業省の事務次官から、「政治主導の生策決定により、役人の士気が低下しているとの懸念」が示されたことを報じています。各省の事務次官と官房長官との会合の場での話です。</p>

<p>経産次官の発言内容は次のようなものです。「旧政権では大臣から指示される前に、自分なりに問題意識を持って取り組んだ。今でも同じようにやらないといけないが、政治主導が重くのしかかり、中堅・若手層が「指示待ち」傾向になっている」。<br />
その上で次官は「国家公務員は国の資産。指示待ちが増えると不良資産になりかねない。そうならないように政治の力でくい止めてほしい」と要請したとのことです。</p>

<p>　この発言にはあきれてしまいます。各省庁も民間企業と同じく、トップの指示に従って動くはずの組織です。トップの交代により組織の運営方針が変わったのであれば、組織の人間はそのとおりに動かなければなりません。<br />
　各省庁の公務員が従来、「事前に自分なりに問題意識を持って取り組んだ」というのであれば、新政権においても、その方針に合わせる形でそれを実行すればいいだけの話です。</p>

<p>　経産次官のいう「政治主導が重くのしかかり、指示待ちになる」というのはどういうことでしょうか。そもそも各省庁の職員は大臣(つまり政治)の主導より動くはずです。しかしこれが「重くのしかかる」というのです。<br />
　つまり、旧政権では大臣の指示や意向を無視する形で、役人が自身の判断で自由な行政を行っていたわけです。そして新政権になって、それが許されなくなったために、「今までどおり自由にやらしてほしい」と言いたいのでしょう。</p>

<p>　しかし役人に自由にやらせてきた旧政権は、選挙で大敗しました。大敗の原因は、旧政権が本来なすべきことを実質的に各省庁に丸投げしてきたこと、そしてその各省庁が行ってきた行政が、年金問題に象徴されるようにあまりに不出来であったことにあるといえましょう。<br />
要するに国民は、今まで各省庁が好き勝手にやってきた行政に、「Ｎ０」を突きつけたのです。となれば、「今までどおり自由にやらせてほしい」などという役人の要求が受け入れられるはずはありません。</p>

<p>　試しに、彼らの行政の惨憺たる状況をマクロ的にみてみましょう。<br />
　財政を破綻させた財務省。教育を駄目にした文科省。対米追随一本槍で自分の頭でものを考えようとしない外務省。道路・港湾・ダム等、省益確保のための不要施設を作り国土を破壊した国交省。薬害事件を連発させる一方、年金・医療・介護を崩壊させている厚労省...。もう枚挙に暇がありません。<br />
　おまけにこうしたデタラメな行政をやっても、その責任をとる人は皆無。まさに公務員天国です。</p>

<p>　今度は、役人の生態をミクロ的にみてみます。役所との折衝をも担当しているある業界団体の人の話です。<br />
「キャリア役人は２～３年で異動します。その間にいかに実績を上げるかが、出世のポイントとなります。役所が評価する実績とは、権限や予算の増大に結実する仕事をつくり出すことです。ですから彼らは懸命にこれに注力します。<br />
具体的には、関係条文の改正により民間への規制を強める、天下り先を増やす、等です。とりわけ新法を作って全く新たな仕事を作ったり、天下り法人をひとつでも新設すれば、大出世間違いなしとなりますね」。</p>

<p>その人の話は続きます。<br />
「かといって新任の役人には、その分野の知識が全くありません。だから我々のような業界団体の担当者に対して、"何かいいネタはありませんかねー"などと言ってきます。そこでこちらの通してほしいささやかな話との交換条件的に、彼らに知恵を付けるわけです。<br />
しかしこれをやればやるほど、我々の業界を含め一般社会の首が絞められていくことになります。毎年毎年こんなことをやっていると、本当にイヤになりますヨ」。</p>

<p>　要するに彼らは、国民の利益などは二の次三の次。権限拡大という省益に狂奔しているのです。そして個人ベースにおいても、天下り先をしっかり確保すること等、「自身が安楽かつ優越した人生をおくる」という最終目標を達成しようとしているのではないでしょうか。<br />
　こうした役所の自己増殖の結果、不必要な規制・制限が蔓延し、訳の分からない天下りのための外郭団体等があふれていってしまったのです。</p>

<p>民主党のある大臣が、次のような趣旨のことを言っていました。「霞ヶ関の人間は無能である。単に学校の成績がよかったにすぎない」。まったく同感です。<br />
　とはいえ、確かに世の人の少なからぬ人は、未だに彼らは優秀であると思っているようです。何より、彼ら自身がそのように（しかも強固に）考えています。いみじくもそれは、先の「国家公務員は国の資産」などという発言に表れています。だから「ゴチャゴチャいわずに、行政全般は優秀な我々に任せておけばよいのだ」といった発想をするのでしょう。</p>

<p>　結局のところ、「政治主導が重くのしかかり、指示待ちになる」という言葉の本音は、「優秀な我々が動かなければ、この国は立ち行かなくなります。しかし政治があまりうるさいこと言うのであれば、我々は働いてあげませんよ。それでもいいのですか。」という意味だと思われます。<br />
　つまり彼らには、政権交代が何故起きたのか、さらには民意がどこにあるのか等が、全く分かっていません。あきれるほどの認識不足です。</p>

<p>　公務員に最も要求される使命感をとうに失い、恐ろしいばかりの思い上がりに支配された今日の役人。彼らなどに働いてもらわなくともけっこうです。そして彼ら全員を辞めさせ、人員を総取っ替えして再出発することができればどんなにいいでしょうか。　<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>見当違いの,司法試験合格者数の下方修正</title>
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    <published>2010-01-08T02:23:21Z</published>
    <updated>2010-01-09T00:55:57Z</updated>

    <summary> 1月５日の読売新聞夕刊は、政府（つまり法務省）が司法試験の合格者数を下方修正するという方針であることを伝えました。 司法改革の一環としての平成14年の閣議決定により、本来であれば、「今年(22年)頃には合格者数をほぼ3,000人程度まで増...</summary>
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        <![CDATA[<p><br />
1月５日の読売新聞夕刊は、政府（つまり法務省）が司法試験の合格者数を下方修正するという方針であることを伝えました。<br />
司法改革の一環としての平成14年の閣議決定により、本来であれば、「今年(22年)頃には合格者数をほぼ3,000人程度まで増やす」という計画でした。それを見直すことを明言したわけです（なお当初の合格者数は1,000人見当で、ここ2年は2,000人水準までに増えています）。</p>

<p>下方修正の理由は、「無理に増員を目指せば、法曹界の質が低下しかねないため」とのことです。さらに日弁連はこれに加えて、「弁護士の就職難が深刻になる」という点を挙げています。<br />
しかしそうした問題は、当初の計画段階で分かっていたはずです。それでも「国民が弁護士を容易に利用できるようにするためには、大幅増員が必要」ということで、この計画が正式に決定されていたはずではないでしょうか。</p>

<p>しかしペーパー試験を難しくすれば、本当に弁護士等の質が向上するのでしょうか。私はそうは思いません。試験が難しくなればなるほど、やたらペーパー試験に強い人だけが合格するだけの話です。そういう人は、いわゆる「頭のいい」人なのかもしれません。しかしそれが本当に弁護士といった法律家に適しているかどうかとは、別問題のように思います。</p>

<p>私は本業の関係や、多くの行政訴訟を行っていること等から、弁護士をよくみることのできる立場にいます。そうした面からはっきり申し上げると、彼らの少なからぬ人は、弁護士の素養・資質に欠けているように思えてしまいます。<br />
弁護士に必要な素養とは何でしょうか。それは「人の気持ちが分かる」が最大だと思います。弁護士が依頼者の代理人として動く以上、それは当然のことといえましょう。</p>

<p>その他としては、まず常識を中心とするバランス感覚がある。折衝力がある。法律を含む文章を的確に読みこなすことができる。頭と口が達者で文章力もある、等々です。<br />
そして世の中がこれらの素養の重要性を認識したからこそ、法科大学院を設け、それらを優先的に身につけさせようとしたわけです。</p>

<p>法律的専門知識は、その次の段階で要請されるものです。したがって、ペーパー試験的な高度な実力も必要となります。しかしそのレベルのものは、実務に就いてからしっかり学べば十分ではないでしょうか。<br />
第一、ペーパー試験的実力をいくら付けても、複雑な実務をこなせるはずがありません。ですからスタート段階では、ある程度の法律的素養があればいいように思います。したがって彼らのいう「法曹界の質の低下」など、さして問題にするに足りません。</p>

<p>しかし下手をすると、先に述べたような素養に関しては、弁護士は一般の人に比べて劣っているのではないでしょうか。それは、弁護士が報酬を払ってくれる大切な依頼者を、すべて事務所に呼びつけていることから分かります。彼らは、自身の仕事がサービス業であるということを認識していないのでしょう。</p>

<p>その根本は、彼らがやたら難しい試験に合格したことによる、強烈なプライドにあるように思われます。またその試験の難関さは、合格者の「箔付け」になっています。<br />
おそらく彼らの多くは、「弁護士になりさえすれば、一生いい思いができる」と考えて、死ぬ思いの勉強を続けてきたのでしょう。だからその試験に合格して箔が付いた以上は、その「いい思い」は、当然の権利であると考えている節があります。</p>

<p>弁護士の本来の実力は、ペーパー試験のでは測ることはできません。これを一言でいうと「向き・不向き」です。そして先に述べた素養を持っている人が、弁護士に向いている人です。このような人は、おそらく立派な弁護士になるでしょう。<br />
その一方、これらに向いていない人でも、試験にさえメチャ強ければ合格してしまいます。そしてその人も当然のように「いい思い」を要求します。そして弁護士会も、その利益擁護団体である以上は同じことを言います。</p>

<p>日弁連による「弁護士の就職難が深刻になる」という増員反対の理由が、その点を明示しています。つまり、「弁護士になった以上は、従来どおり「いい思い」のできる職場が与えられて当然」という考えです。<br />
何より、試験が易しくなり「合格者の質が低下」したのでは、箔が付かなくなります。となれば、弁護士(さらにいえば法律業界)の社会的地位が大きく下がってしまします。「合格者数の増員防止」の本音はここにあるように思うのです。</p>

<p>しかしそもそも、本来弁護士を必要としている人は、現状の何倍もいるのではないでしょうか。また地方都市には弁護士がほとんどいない、というのもよく知られた事実です。<br />
結局のところ、弁護士報酬が高すぎるために依頼できないのでしょう。であれば、報酬の水準を下げれば仕事が増えるはずです。何より、着手金をゼロ水準にして、成功報酬に一本化すれば、依頼者は相当増えるのではないでしょうか。<br />
要するに汗をかきさえすれば、仕事（したがって就職先も）あるはずです。そして本来それを狙っての合格者増員計画だったはずなのです。</p>

<p>以上から、"人為的に試験を難しくすることにより合格者に箔を付け、汗をかかなくとも合格者全員が「いい思い」ができるように"、と言わんばかりの「合格者数の増員防止」方針は、いかがなものかと思うしだいです。</p>

<p>はっきり申し上げて、護送船団行政を思わせる今日の弁護士業界は、ぬるま湯状態にあるように思えてなりません（むろん多くの立派な弁護士がおられるのも事実ですが）。<br />
やはりこの業界も、切磋琢磨により実力を付けた人が生き残り、そうでない人が脱落するという、あたりまえの競争社会でなければなりません。こうした緊張感が支配する中にあって初めて、われわれ依頼者が、しっかりした法律的サービスを受けることができるようになると考えるしだいです。</p>]]>
        
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    <title>メディア掲載記事更新しました</title>
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    <published>2010-01-08T00:48:49Z</published>
    <updated>2010-01-08T00:55:31Z</updated>

    <summary>鳩山首相の巨額政治資金問題、相続税制について読売新聞（2009.12.25）にコメントしました。 エコノミスト（2009.4.7）「かんぽの宿問題」の特集記事に寄稿しました。 内容は、メディア掲載記事ページを、ご覧ください。 ...</summary>
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        <category term="お知らせ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.moritax.jp/">
        <![CDATA[<p>鳩山首相の巨額政治資金問題、相続税制について読売新聞（2009.12.25）にコメントしました。<br />
エコノミスト（2009.4.7）「かんぽの宿問題」の特集記事に寄稿しました。</p>

<p>内容は、<a href="http://www.moritax.jp/about/media.html">メディア掲載記事ページ</a>を、ご覧ください。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>景気対策としての容積率緩和を許すな</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.moritax.jp/column/003/post-18.html" />
    <id>tag:www.moritax.jp,2009://1.101</id>

    <published>2009-12-23T07:41:26Z</published>
    <updated>2010-01-08T02:05:49Z</updated>

    <summary>はじめに 最近マスコミ等の一部から、「容積率の大幅緩和により景気改善を図ろう」とする主張が出ています。「制限により小さい家しか建てられないというのであれば、これを緩和して狭い土地でも大きな家を建ててもらおう。何よりこれなら財政資金は不要」と...</summary>
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        <category term="時事を斬る！" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.moritax.jp/">
        <![CDATA[<p><strong>はじめに</strong><br />
最近マスコミ等の一部から、「容積率の大幅緩和により景気改善を図ろう」とする主張が出ています。「制限により小さい家しか建てられないというのであれば、これを緩和して狭い土地でも大きな家を建ててもらおう。何よりこれなら財政資金は不要」というわけです。</p>

<p>しかし一見もっともらしいこの主張は、「容積率制限の重要性に理解を欠いた暴論」というより他ありません。<br />
そこでこの欄で、容積率による規制の存在意義を確認しつつ、こうした考え方を批判します。また返す刀で、学者先生等の不動産に対する知識の欠如ぶりについても斬り込むこととします。</p>

<p><strong>１．安易な容積率緩和策</strong><br />
　容積率とは、敷地面積に対するその土地上の建物の延べ面積の割合をいいます。容積率は建ぺい率とともに、各地域ごとにその上限値が指定されています。この上限値を設定することにより、その土地に建てることのできる建物の大きさを制限しているわけです。<br />
これらは街の過密の抑制や、生活環境の確保といった都市計画の観点からの、きわめて重要な規制となっています。</p>

<p>　ところが最近は、冒頭のような主張が一部から声高になされるようになりました。その典型がこの2月に週刊誌に掲載された、某大学教授による「平成の資産倍増計画」なる次の主張です。<br />
「日本全国の容積率などを一挙に2倍に緩和すれば、相当な建て替え需要が生まれ雇用創出等が促進される。政府は早急に行うべき政策と考える」。</p>

<p>　また当時、テレビ東京のワールドビジネスサテライト（ＷＢＳ）も、同様のことを力説していました。実はつい１週間前も、ＷＢＳが推奨していた「規制緩和仕分け」のリストに、この容積率緩和が載っていたのです。実はこのテレビ報道が、当ブログを記すきっかけとなったしだいです。</p>

<p>しかしこれらの主張は全くいただけません。これを例えていえば、「速度制限を200㎞というように倍に緩和すれば、若者の車離れは阻止できるし、スポーツカーを中心とする高級車の需要をも喚起する。そうすれば景気はよくなる」といった内容と同次元のものです。要するにこれは、交通安全や街の安全といった、制限の趣旨を無視した暴論といわざるをえません。</p>

<p><strong>２．容積率規制の意義</strong><br />
そもそも都市計画の最大の目標は、災害の防止にあります。とりわけ怖いのは火災。今日では大地震発生の可能性も指摘されています。こうした大火災・大地震による被害をいかに最小限に減らすか、これらが都市計画に課された責務なのです。</p>

<p>その対策の一番は、都市の過密の抑制です。建物が密集していれば、火災はたちどころに延焼します。人の避難も困難にします。だからこそ住宅地域をも含め、容積率制限によって街の過密化を防止しているわけです。</p>

<p>そもそもわが国の容積率の制限値は、今でも欧州諸国に比して大幅に緩くなっています。それはロンドンやパリ、ベルリンといった欧州の大都会(そこには超高層ビルの林立はない)を想起するだけでご納得いただけましょう。また緑豊かでゆったりとした欧米の住宅地も魅力的です。</p>

<p>こうした中、容積率制限が倍になった超過密の街を考えただけで恐ろしくなります。むろん道路幅員は現状のままですし、消防体制もとてもこれには対応できないでしょう。そこにひとたび大災害がおこれば、一体どのような事態になるのでしょうか。</p>

<p>生活環境の確保も忘れてはなりません。大都市近郊の住宅地は、既に今日かなりの過密状態となっています。さらに近年の容積率等の実質的な緩和策もあって、木造３階建て等のミニ開発住宅地区がますます増えています。</p>

<p>その上で容積率を大幅に倍にアップするといいます。それは庭のつぶし、土地のすべてを３～５階建ての建物の敷地にすることを意味します。これでは土も緑もあったものではありません。むろん日照や通風は絶望的に損なわれます。となれば健康・衛生面のみならず、心理面までもかなりの悪影響を受けるでしょう。<br />
実は本音を言えば、「倍」は物理的に全く不可能であり、２～４割アップでさえ今述べたようなことになるはずです。</p>

<p>ついでにいえば、現状の都市計画を前提に造られているはずの上下水道等の供給処理施設は、全くこれに対応できません。さらには鉄道等の交通機関が都心部等の過密に耐えられるのでしょうか。まさに疑問だらけです。</p>

<p>要するに今日の社会基盤は、現行の容積率を前提に造られているのです。したがってこれを一気に何割増しをすることなど、不可能というより他ないわけです。<br />
　<br />
<strong>３．社会的不公正</strong><br />
　これらの他、容積率の大緩和策は、大きな社会的不公正をも招来させます（これは小さな緩和でも、以下の理屈は同じです）。</p>

<p>　既にわが国の総人口は減少に転じています。経済規模も、せいぜい横ばいがやっとでしょう。こうした事情を反映して、地方の土地や大都市の郊外地域（以下「郊外・地方の土地」という）の地価は、バブル後の約20年間、ずっと下落を続けています。</p>

<p>その一方、地価の上昇の可能性のあるのは、東京やこれに準じる地方の中核都市の都心部、さらにはその近郊の住宅地（以下これらを「大都市部の土地」という）に限られます。理由は、地方から大都市への人口流出が続き、また大都市郊外の住宅地でも都心回帰が進んでいるからです。<br />
ただしその「大都市部の土地」でさえ、全般的には下落傾向となっています。そもそも土地は、全国的にみて圧倒的に供給過多にあるからです（線引きで指定した市街化区域が広すぎたことが、その主な原因であると考えます）。</p>

<p>そもそも他の財の価格と同様に、地価も需要と供給の関係で決まります。その中にあって、容積率を引き上げることは、土地を新規に供給することと同義です。今まで30坪の家しか建てられなかったものが50坪まで建てることができる、といったことになるからです。<br />
つまり容積率の緩和は、供給の増大効果により、ただでさえ下落傾向にある地価を、一層引き下げる効果を生じさせるわけです。</p>

<p>とはいえ、土地面積の増大を意味する容積率の緩和は、需要の根強い「大都市部の土地」の所有者にとっては、かなりのメリットが生じます。その意味から、場所によっては新たな大型建築のニーズがかなりの規模で生じましょう。また住宅地でもアパート建築や自宅の増築等行われるはずです。</p>

<p>しかし人口減少・ＧＤＰ横ばい（または減少）の今日、ビル需要やアパート需要はもう増えません。ただでさえ供給過剰にある中、これらの新規の供給は他のどこかの空室を生むだけのことです。</p>

<p>実は既に、東京の丸の内地区にそれが顕著に表れています。近年この地区に限って、容積率がかなり引き上げられました。その結果ご承知のとおり、この地域はみるみる超高層化されました。これにより、貸しビル等の供給量が一気に増大したのです。</p>

<p>とはいえここは大人気地区ですから、何とかテナントは埋まります。しかしそうであればゼロサム社会の今日、周辺地区等ではその分の空室が増えてしまいます。何やら「一将功成りて万骨枯る」といったイメージです。<br />
余談ですが、三菱地所をはじめとするこの地域の地権者は、この容積率の大緩和によって、総額で数兆円にも及ぶであろう莫大な利益を手にしたはずです。こうした経済的利益に対する課税が何らなされないというのが、私には不思議に思えます（確かに「容積率を引き下げたときにどうするのか」、という問題もありましょうが...）。</p>

<p>さて「郊外・地方の土地」にあっては、いくら容積率が引き上げられてもその使い道はありません。その一方、「大都市部の土地」に建築が進めば、その分の人口の流出・都心回帰が一層進みます。つまり地価の下落に、より拍車がかかることとなるわけです。</p>

<p>多額の資金を投じて「郊外・地方の土地」を購入した多くの人にとって、この資産デフレはつらいものがありましょう。ただしそれが一般の社会現象の変化によるものなら、いたしかたないというべきかもしれません（いわば自己責任）。<br />
ところが、それが人為的な「容積率緩和策」などによるものであるならば、地方の住民等にとってはたまったものではないでしょう。</p>

<p>これをやれば、都会のごく一部の富める者がますます富み、地方等の一般庶民や貧しい者は、より貧しくなるでしょう。まさに「一将功成りて万骨枯る」の全国版です。</p>

<p>先の評論家は、「容積率の緩和は血税を使わない」などといいます。しかしこれによる全国の土地の時価総額は、大きく下がると思われます。<br />
すなわち「大都市部の土地」の容積率アップのメリットは、超過密化によって生じる安全や環境等の悪化により、かなり減殺されてしまうでしょう。その一方、「郊外・地方の土地」のデメリットは、確実にその分の地価を引き下げるはずだからです。これではとても、「血税は使わない」などといえたものではありません。</p>

<p>現在の地価は、あくまで現状の容積率等の制限内容を前提に形成されているのです。結局のところ、経済評論家らによるこの容積率緩和策は、都市政策や全国の地価情勢等への目配りを欠いた、あまりに安易な主張と断ずるより他ないのです。</p>

<p><strong>４．諸先生方へのお願い</strong><br />
　それにしてもこのような怪しげな話を、マスコミに頻繁に登場するような「経済評論家」達が、まことしやかに主張しています。これは、学者や経済評論家といった諸先生方が、いかに容積率を含む不動産を知らないかの証左です。不動産は、れっきとした経済財（しかも極めて重要）であるにもかかわらずです。</p>

<p>　それ以前に、容積率の制限の状況を論じようというであれば、諸先生方は何故に、その制限の必要性を考えようとしないのでしょうか。<br />
　<br />
そもそも緩和・撤廃すべきといわれている「規制」は、各省庁の権益や縄張りがからんだり、その規制によって特定の役所や業界が不当な利益を得ている、といった存在であるはずです。<br />
しかし容積率規制を所管する国土交通省や各自治体の担当部署は、この制限によって何かのメリットを受けているわけではありません。これ関連する天下りの組織もないはずです。ですから、容積率をいわゆる「規制緩和」の対象にしてはならないのです。</p>

<p>　不動産に関して発言する以上は、諸先生方には、もう少し基礎的な不動産の勉強をした上でのものとしていただきたく思うものです。<br />
　（なお余談ながら、容積率規制の意義や重要性の点を含め、不動産の基礎に関して分かり易く解説した本として、拙著「初めての不動産実務入門」（近代セールス社）をお勧めいたします）。<br />
</p>]]>
        
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    <title>鳩山首相の巨額政治資金問題 (2)　社会的観点から</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.moritax.jp/column/002/2.html" />
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    <published>2009-12-20T04:51:03Z</published>
    <updated>2010-01-08T01:58:16Z</updated>

    <summary>はじめに 　現在、鳩山首相の巨額政治資金問題が世を騒がせています。考えてみれば、これはいろいろの側面を有しています。少なくとも①税務の観点、②社会通念の観点、③政治的観点３つには区分されましょう。 そこで当ブログで、この問題を整理して考える...</summary>
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        <category term="相続を斬る！" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.moritax.jp/">
        <![CDATA[<p><strong>はじめに</strong><br />
　現在、鳩山首相の巨額政治資金問題が世を騒がせています。考えてみれば、これはいろいろの側面を有しています。少なくとも①税務の観点、②社会通念の観点、③政治的観点３つには区分されましょう。<br />
そこで当ブログで、この問題を整理して考えることとしました。</p>

<p>　とはいえ実は①に関しては、既に「<a href="http://www.moritax.jp/column/002/1.html" target="_blank">税務の観点</a>」として別途記載済みとなっています。そして本欄の「社会的観点から」とする②、③は、①の続きという形になっています。したがってこれをお読みいただくに際しては、平行して（または最初に）「税務の観点」をご覧いただきたくお願いいたします。</p>

<p><strong>（１）社会通念の観点</strong><br />
　最初に明らかにすべきは、この社会通念の観点です。そしてその結論は「何の問題もない」となります。</p>

<p>　まず今日において、国会議員さらにはそれ以上のレベルの政治活動を行うには、かなり大きな政治活動資金が必要とされているようです。それもあって、近年は多額な政党交付金（原資は税金）が支給されるようになりました。<br />
　それでもまだまだ不足しているようです。したがって多くの政治家は、政治資金の不足分を、財界・労組等の団体や特定の企業、資金集めのパーティーその他実にさまざまな手法により集めています。<br />
　<br />
　とはいえ極めて限られた純粋の個人献金を除き、いわゆるゼネコン汚職等にみられるように、これらは大なり小なり不明朗な性格を有しているといわざるをえません。<br />
　こうした倫理面から呈せられた疑問に対しては、政治家は常に「政治資金規正法に則り適正に処理している」と弁明します。しかし法律的な体裁はさておき、ほとんどの政治献金は、（財界や労組からのものを含め）利益誘導を狙ってのものであることは歴然たる事実です。</p>

<p>　ところが鳩山首相の巨額資金は母親が提供したものです。つまりこうした不明朗なものとは全く無縁の、鳩山家のいわばきれいなお金です。政治資金に関して鳩山家が自腹を切っているということは、ほめられこそすれ批判される筋合いはないと考えます。</p>

<p>　かなり前には、「井戸塀」議員という人種がいたそうです。自己資金を投入して政治活動を行った結果、私財を失い、井戸と塀しか残らなくなってしまった人をいいます。つまり清廉潔白であったことを尊敬した表現といっていいでしょう（お人好し、というニュアンスも含まれているかもしれませんが...）。しかし万事に世知辛い今日、そんな人はとんとお目にかからなくなっています。<br />
　<br />
　ところで鳩山兄弟をみると、井戸塀議員を連想することができます。ただし鳩山家は大資産家ですから、「井戸と塀しか残らない」といった心配は全くありません。しかし世論やマスコミには、その点に関してやっかみのようなものがあるように思えてなりません（確かに、鳩山兄弟には「お金持ちのお坊ちゃん」然としたところがあるのも事実ですが）。<br />
　いずれにしても、事の本質を見誤ってはならないように思うしだいです。</p>

<p><strong>（２）政治的観点</strong><br />
　この点は専門家でもありませんから、税務にからむ点を中心に簡単に記すこととします。</p>

<p>　最初に、鳩山兄弟の「贈与税の脱税問題」についてみておきます。それには「贈与税は相続税の補完税」贈与税の本質をもう一度確認しておく必要があります。</p>

<p>　かなり昔に、「死んで多額な財産を遺すと、ドッと課税」という相続税が創設されました。となれば資産家は、「それなら、生きているうちに子供に財産を渡してしまえばいいではないか」と考えます。<br />
　しかしそれではせっかくの新税が骨抜きにされてしまいます。そこで、贈与税をほぼ同時に定め、贈与を行うと目の玉の飛び出るような税率で課税することとしました。これにより多額な贈与を実質的に禁止し、相続税の税収を確保しようとしたわけです。</p>

<p>　そもそも常識的に考えて、親が子供に財産を贈与することは何の問題もないはずです（確かに、「贈与を受けることができる子と受けられない子との間に不公平が生じる」という理屈はあるかもしれませんが...）。つまり相続税を免れるための贈与でなければ、贈与自体が悪いものとはいえないように思います。</p>

<p>　この観点から鳩山兄弟のケースを考えます。すると今までの流れをみる限り、母親も鳩山兄弟にも、「相続税を免れよう」といった発想はほとんどなかったのではないかと思われます。<br />
　仮にそうだとすると、贈与税の申告がなされていなかったこと等を称して、「（倫理的に）許されざる脱税」といった表現は当たらないように思います。</p>

<p>　事実、母親が所有する財産の多くはブリジストンの株式であろうと思われます。であれば、相続税額がいくら多額になろうと、これを換金すればすぐ払うことができます。<br />
　実は相続税の負担がつらいのは、大半の相続財産が、自宅や貸家の敷地さらには自社株といった換金が困難なもので構成されている場合です。要するに納税資金を容易に調達できるかどうかがポイントなのです。その点に何の問題もない鳩山家にあっては、おそらく相続税のことはあまり深く考えていなかったように思われるわけです。</p>

<p>　結局のところ、先の「井戸塀」的な政治資金の拠出の状況や、相続・贈与税への鷹揚な対応ぶり等からみて、鳩山家には、「悪質」という表現は当たらないように思います。この「巨額政治資金問題」を考える際には、このような問題の本質を見誤ってはならないように思うしだいです。</p>

<p>　とはいえ以上は、あくまで鳩山家が一般の大資産家、さらには政治家であったとしても陣笠議員程度であった場合の話です。したがって、兄が現首相で弟も前総務大臣といった超大物である以上は、状況は自ずと変わってくるように思います。</p>

<p>　一体、鳩山家（さらには由起夫・邦夫の各事務所）の金銭感覚やコンプライアンス（法令遵守）はどうなっていたのでしょうか。仮にそれらは秘書任せになっていたとしても、そんなお粗末な秘書を任命し、またそれに頼り切っていたご本人の不明ぶりは、論外といわざるをえません。<br />
　さらには税務に関しては顧問税理士がいたのでしょうが、その人は不思議極まる資金の動きに相続・贈与問題にからめた疑問が湧かなかったのでしょうか。いや税理士にも得手・不得手があります。であれば責められるべきは、そうした方面に強い税務の専門家に依頼しなかった本人（または秘書）の責任になりましょう。</p>

<p>　結局これは、こうした立場の人に必須というべき、バランス感覚（もっといえば人間的な実力）の問題です。ペーパー試験的な偏差値の優劣が、いかに当てにならないかの証拠ともいえそうです。</p>

<p>　結局、鳩山兄弟はいよいよ単なる「世間知らずで人のいいお金持ちのお坊ちゃん」ということになります。となれば我々国民としては、危機管理ひとつを考えただけでも、そんな人に国を任せたくありません。<br />
　しかし、「お人好しの八方美人の対応が現実の壁にぶち当たり、混乱を招いている」というべき今日の鳩山氏の首相ぶりは、まさしく「世間知らずのお坊ちゃん」そのものといえましょう。<br />
　ついでにいえば、（悪い人ではないのでしょうが）総務大臣だった弟の勘違いぶりも相当のものであったと思っています。</p>

<p>　二人にかなりの悪口を言ってしまいました。今度はもっと恐ろしい別の観点からこの問題をみてみます。</p>

<p>　そもそもこの問題は、検察が追及していた鳩山首相の政治資金収支報告書の虚偽記載問題から派生したものです。つまり本人や母親から拠出されていた資金を、故人を含む他人からの寄付金とであったとする記載がなされており、この点を虚偽と追及されているわけです。</p>

<p>　たしかに形式的・法的には明らかに「虚偽の記載」といえるでしょう。しかし実体的には「井戸塀」的拠出です。政治資金にかんして本来批判されるべきは、露骨な利益誘導がからんだ資金提供であるはずです。したがって検察が「虚偽記載」と声高に叫んでいましたが、世論はある程度冷静にみていたように思われます。</p>

<p>　そこでこうした追及に力不足を感じていたであろう検察が、あまりに脇の甘かった鳩山家の税務問題に着目したように思います。「鳩山家が税をごまかしていた」という話であれば、（庶民のやっかみ感情を含め）世論は大きく検察の応援に回るはずだからです。</p>

<p>　ところで前回も指摘しましたが、税に関する不正は「申告漏れ」と「脱税」の二つに大別できましょう。前者は単なる税務のミスという感覚である一方、後者は犯罪といったニュアンスです。</p>

<p>　そして具体的は、仮装・隠蔽行為等が行われていたことを前提とする重加算税が課されるかどうかが、両者の判断の分かれ目となりましょう。<br />
　ただし近年の税務当局は、仮装・隠蔽といった悪質な行為を伴っていないものに関しても、重加算税を課そうとする傾向が顕著となっています。したがって、この点にも留意する必要があるかもしれません。</p>

<p>　さて問題は、鳩山首相にこの重加算税が課されるかどうかです。これが課されることにより、「鳩山首相は脱税をした犯罪者」であるなどというレッテルが貼られようものなら大変なことになります。首相の座を失うことはもちろん、下手をすると政治生命にすら影響を及ぼしかねないでしょう。</p>

<p>　しかし繰り返しますが、報道でみる限り鳩山兄弟には重加算税が課される要素はありません。ところが検察や課税当局は、場合によっては政策的な恣意的課税を行う可能性がゼロでないのも事実です。結局この問題は、検察対鳩山政権の力関係で決まってくるように思います。</p>

<p>　考えてみれば、西松建設からのダミー献金問題で検察は、当時の党首の座にあった現小沢民主党幹事長を退陣に追い込んでいます。それに対して小沢氏の側は検察を鋭く批判しています。いまや政権与党の大実力者となった小沢幹事長の前で、検察は戦々恐々としているのではないかとも考えられます。</p>

<p>　そうした状況下での、検察による鳩山首相に対する偽装献金問題の追及です。のみならず、税務問題でのさらなる検察の追い討ちです。そして税務問題であれば、「重加算税」という超重量級の武器使用の可能性すら出てくるわけです。</p>

<p>　ただし客観的にみれば、重加算税はかなりの無理筋であり、下手にこれをやると検察が返り血を浴びるというリスクがあります。しかしマスコミが庶民のやっかみ感情にうまく訴えることができれば、成功の可能性がないわけではありません。</p>

<p>　現に読売新聞は、12月５日の社説で、この問題に関して、金丸信元自民党副総裁のケースを引用するというとんでもない主張を展開しています。すなわち、鳩山首相の政治資金が不明朗さに関して、元副総裁が５億円の違法献金を受け、これを不明朗な処理をしたところ、国民の猛反発を受けたことを忘れてはならないというのです。</p>

<p>　しかしいかに読売新聞が民主党政権に批判的であるとしても、自腹を切るという井戸塀的資金提供と、その対局ある、利益誘導を全面に打ち出した上での威圧的に強要された政治献金とを混同するなどは、許されるものではありません。</p>

<p>　何だか話がやたら長くなってしまいました。どうも専門外のことを無責任に書き過ぎたように思います。<br />
　いずれにしてもここで申し上げたかったことは、「形式的な違法性に目を奪われることなく、事の本質をしっかり見るべき」という点です。さらには「人のいいばかりでは、一国を率いるのは難しいのではないか」というのも、この場での感想のひとつです。</p>

<p>　今後の推移を注意深く見守っていきたいと思います。<br />
</p>]]>
        
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    <title>鳩山首相の巨額政治資金問題 (1)　税務の観点から</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.moritax.jp/column/002/1.html" />
    <id>tag:www.moritax.jp,2009://1.100</id>

    <published>2009-12-20T04:00:00Z</published>
    <updated>2010-02-05T07:16:31Z</updated>

    <summary>はじめに 現在、鳩山首相の巨額政治資金問題が世を騒がせています。考えてみれば、これはいろいろの側面を有しています。少なくとも①税務の観点、②社会通念の観点、③政治的観点３つには区分されましょう。 ところがこれらの問題がチャンポンに論じられて...</summary>
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        <category term="相続を斬る！" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.moritax.jp/">
        <![CDATA[<p><strong>はじめに</strong><br />
現在、鳩山首相の巨額政治資金問題が世を騒がせています。考えてみれば、これはいろいろの側面を有しています。少なくとも①税務の観点、②社会通念の観点、③政治的観点３つには区分されましょう。</p>

<p>ところがこれらの問題がチャンポンに論じられているためか、話が錯綜しているよう思えてなりません。そこで本欄において、この問題を整理しつつ論じてみることとします。</p>

<p>ただし「税務の観点」を書いてみたところ、かなり長くなってしまいました。そこで②と③の二つは、「社会的観点から」として別途記載することとします。したがってそちらも、この①の延長としてお読みいただければ幸いです。</p>

<p><strong>税務の観点</strong>	<br />
　まずは、税理士という立場から「純粋な税務問題」としてこれを考えてみます。ポイントは母から渡された巨額資金が、贈与なのか貸付金なのかという点です。<br />
　<br />
　ところで税務当局の「贈与」の認識が、一般の常識的な考え方とやや相違すると思われる点が主に二つあります。<br />
ひとつは、一方が贈与したつもりでも、受贈者に「もらった」という認識がない場合です。親がその事実を知らせないまま、子供名義で預金している場合がその典型です。税務当局はこのような場合は、贈与は行われておらず「その預金は親のもの」と解します。そしてその親の死去に際して、それを相続財産に取り込んでこれに相続税を課税するのです。<br />
民法における贈与の規定が「（贈与者が無償で財産を与える意思を表示し）相手方がこれを承諾することにより成立する」となっているのがその取扱いの根拠です。</p>

<p>　もう一つは、客観的に返せるはずのない額のものを、「貸付金」と称して渡すようなケースです。貸付金でという体裁であれば、一応は贈与ではないということになります。<br />
しかし例えば「親が30歳の会社員の住宅取得に関して、5,000万円を貸した」などといった場合には、税務署はその大半を贈与と認定するでしょう。その年収では5,000万円など返せっこないからです。このような「ある時払いの催促なし」は、贈与とみなして課税するのです。</p>

<p>　ではこの二つについて、鳩山首相のケースを考えてみましょう。まず鳩山首相には主張には「もらった」という認識がなさそうです。これでは民法上、贈与の要件を構成していないように思われます。ですからこの面からすれば、これらの資金は母親の貸付金になり、贈与税の課税にはなりそうにありません。</p>

<p>　一方、首相は後者（みなし贈与）には該当しそうです。いくら議員歳費が高いとしても、彼には10億円以上のお金を返済できるとは思えないからです。したがって一般の場合であれば、その意味から贈与税が課されると思われます。<br />
しかし話はここで終わりません。当局がいう"「ある時払いの催促なし」とする貸付金は贈与とみなす"などという規定は、税法にはないからです。したがって仮に鳩山首相が、当局が行うであろう贈与税の認定課税に対して裁判で争うと、当局が負けてしまう可能性があります。</p>

<p>　ただしその場合には、首相側が「これは母から借りたもの」という点を立証する必要が生じます。そしてその場合には、「借用書が作成されていない」という点が致命傷となりそうです。本来は借用書の作成は貸借の要件ではないとしても、この大きな金額では借用書がないのはあまりに不自然だからです。<br />
さらには返済方法も決められていません。結局のところ、貸付金とする立証は困難と思われます。こうした事情から、弟の邦夫氏とともに兄の首相も、贈与税の申告を覚悟しているわけです。</p>

<p>　さて問題は徐々に佳境に入っていきます。<br />
　この巨額資金を贈与であるとすれば、時効の制度により直近の６年分しか課税できません。つまりそれ以前の贈与分は課税を免れてしまうわけです。</p>

<p>　一方、これを貸付金であるとすれば、過去数十年にわたり母親が提供した資金は、すべて貸付金として残ることになります。むろん貸付には時効はないからです。とりわけ10年以上も前に鳩山兄弟が立ち上げた民主党に関しの、20億円といわれる結党資金は母親が拠出した（つまり貸付金）とされています。<br />
したがって近い将来の母親の死去に際しては、50億円規模と思われるこれらの貸付金の全額が、母親の相続財産として課税されることになります。</p>

<p>となればその累計額は、おそらく一人約11億円とされる6年間の贈与金額の数倍規模になるのではないでしょうか。ちなみに税率は実質的にどちらもほぼ50％。したがって、今回これらの資金の動きを「贈与」であるとすることにより、兄弟らの相続人は、20億円を優に超えるであろう相続税を免れることになります。</p>

<p>その意味から、後で述べる政治的観点を抜きにすれば、国税側は鳩山氏側が「貸付金」を強く主張すれば、おそらくそれほど強くこれを否定しなかったようにも思えます。あくまで「贈与税は相続税の補完税」（贈与税は、相続税を徴収する手段）だからです。</p>

<p>この点、一般庶民の「ある時払いの催促なし」的な貸付金と大資産家のそれとは、自ずと扱いが別になります。一般庶民の場合は、取れるときに取らないとうやむやになってしまう一方、大資産家に関してはしっかり記録を残しているからです。</p>

<p>さて最後の興味は、鳩山兄弟の贈与税の申告に関して、通常の過小申告（または無申告）加算税で済ませるか、罪の重い重加算税が課されるかどうかです。重加算税は本来、納税者の「仮装・隠蔽」を前提とするものです。したがってまさに脱税という「犯罪行為」と認識されます。一方、過少申告加算税等であれば、いわば単なる誤り・申告漏れに過ぎないというニュアンスで済むわけです。</p>

<p>鳩山首相のケースであれば、本来は重加算税は考えられないように思います。しかし近年の国税当局は、拡大解釈によりやたら重加算税を課そうとします。こうした中、さらには後述の政治的観点と併せて考えると、どうなるか予断を許さないように思うわけです（さらにいえば、この問題を追及しているのは国税局ではなく検察庁です）。</p>

<p>もう一点、母親が出すと思われる５億円以上といわれる贈与税をどう処理するかも興味があります。おそらくこれについては、借用書を書くこと（つまり貸付金としての相続財産）になるのでしょう。しかし何やら今までの行為との整合性の点がやや気になりそうです。</p>

<p>さてこの件の当事者が、単なる大資産家のお坊ちゃんであればここまでの話で済むはずです。しかしそれが一国の総理大臣ともなると、先の重加算税の問題を含め、それだけでは終わりそうにありません。これ以降の話は、間もなく別に記載する予定の「社会的観点から」をご覧くださるようお願いいたします。<br />
</p>]]>
        
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    <title>裁判官の強い誘導の成果か、無罪主張の裁判員裁判</title>
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    <published>2009-12-12T06:42:50Z</published>
    <updated>2009-12-18T05:59:46Z</updated>

    <summary>裁判官の強い誘導の成果か、無罪主張の裁判員裁判 　 平成21年12月11日に、被告人が無罪を主張していた裁判員裁判で、懲役８年（求刑は懲役10年）の有罪判決がありました。探偵業を営む被告人が、少年グループに指示して強盗をさせたとして強盗傷害...</summary>
    <author>
        <name>moritax</name>
        
    </author>
    
        <category term="裁判を斬る！" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.moritax.jp/">
        <![CDATA[<p>裁判官の強い誘導の成果か、無罪主張の裁判員裁判<br />
　<br />
平成21年12月11日に、被告人が無罪を主張していた裁判員裁判で、懲役８年（求刑は懲役10年）の有罪判決がありました。探偵業を営む被告人が、少年グループに指示して強盗をさせたとして強盗傷害罪に問われたものです（被告は控訴方針）。</p>

<p>判決は、指示を受けたとされる少年らの証言を、「具体的、迫真的で矛盾もない」と指摘。一方、被告人の主張に対しては「不合理な弁解を続け、責任転嫁しようとしている。自己の手を汚さずに目的を達成しようとして卑劣」としています。<br />
裁判員裁判としては過去最多の７日間を要し、被告人質問も２日にわたったとのことです（12日の読売新聞の報道）。しかし後述するとおり、私はこの判決には強い疑問を持たざるをえません。</p>

<p>「足利事件 再審裁判の使命」のブログにも記載したように、私は今日の刑事裁判に対して極めて批判的にみています。その象徴が、検察官に起訴された場合の有罪率「99.9％」（最高裁発表）という異様な数値です。つまり裁判官は被告人に対して、絶対といっていいほど無罪判決を出そうとはしません。主な理由は「無罪判決は検察官の面子をつぶす」からです。さらには、そのような判決を出す裁判官の人事考課が一気に下がるからです。</p>

<p>だから警察・検察は、迷宮入りを強く批判されそうになると、適当に犯人を仕立て上げます。足利事件や富山冤罪事件（氷見事件）がその典型です。さらには面倒な捜査はやろうとしません。そのため「この人痴漢です」などと言われた人は、有無を言わせず有罪にされてしまいます。高知白バイ事件のように、警察官の失態隠しに民間人を犯人にでっち上げることも平気でやります。<br />
それもこれもすべて、裁判官が警察等の言い分をすべて鵜呑みにして、みんな有罪にしてくれるからです。警察・検察は、こうした絶大な「信頼感」を背景に、安心して無実の人を犯人に仕立て上げることができるわけです。</p>

<p>このような社会的な批判をも込めて始まったのが、裁判員制度です。しかし司法関係者は、裁判員に厳しい守秘義務を設ける等、何とかお茶を濁して従来の方針を維持しようとしています。<br />
権力追随指向の強いマスコミも、導入理由や制度の必要性等を説明しようとしません。だから一般市民の間では「何のための制度か分からない。こんなもののために会社を休もうとは思わない」と、この制度は不評です。「有罪率99.9％」だけでも報道すれば、その必要性は一目瞭然となりましょう。しかしこの数値も全く報道されていないのです。</p>

<p>こうした中、これが裁判員裁判における初めての無罪主張事案だったわけです。おそらく裁判官は、有罪判決を出すべく必死に裁判員を誘導しようとしたでしょう。新制度での有罪率が激変したのでは、「今までの裁判は何だったのか」と批判を浴びるに決まっているからです。<br />
　<br />
　私はこの裁判について、新聞報道以外は全く知りません。しかし新聞報道をみる限りにおいては、この判決は「無罪」でなければならないように思います。<br />
そもそも法律（刑事訴訟法）は、検察側に対して、有罪であることにつき「合理的な疑いを入れない程度の証明」を求めています。つまり「どう考えてもほぼ間違いなく有罪に違いない」と思わせるまでの立証責任を、一方的に検察側に課しているのです。しかし新聞報道からは、その立証責任を果たしているとはとても思えません。であれば、この事案は当然に無罪になるはずです。</p>

<p>なお被告人側は、自身が無罪であるということを証明する必要はありません。警察・検察側が何でもできる公権力を与えられている一方、ずっと拘置所に入れられているであろう被告人が、そんなことができるはずがないからです。この立証責任に関する法規定は、合理的かつ当然のことといえましょう。</p>

<p>さて判決の主な理由は、「具体的、迫真的で矛盾もない」という少年らの証言であったようです。しかしこの証言の調書は、裁判官に「具体的、迫真的で矛盾もない」と思わせるように、検察官が勝手に書いたものでしょう。少年はその調書に署名させられているだけのはずです。<br />
裁判所における少年の証言も、調書の内容に沿った証言をするように（リハーサルを重ねる等により）説得（脅迫？）させられていると考えるべきです。以上の内容は検察の常套手段なのです。</p>

<p>また判決は、被告人の「不合理な弁解を続け、責任転嫁しようとしている」と批判し、これをも有罪の根拠としているようです。しかし被告人としてみれば、「刑務所行きになってしまうかもしれない」と思えば、これを免れようとしていろいろ言うでしょう。したがってその中には、矛盾することも少なからず出てくるはずです。<br />
こうした「被告人が理路整然と無罪であることを証明しない限り、有罪である」とする裁判官の発想。これこそが「有罪率99.9％」の原動力というべき存在なのです。</p>

<p>判決後の記者会見における裁判員の次の発言は、一層「無罪」を推認させます。「証人と被告人の証言は、すべて正しいと思えた。そういう中で判断しなければならず、いろいろ考えて、自分で整理した」。「弁護側、検察側ともに言うことがそのとおりだと思って迷った」。<br />
つまり検察側は、「合理的な疑いを入れない程度の有罪の証明」ができなかったわけです。であれば当然に無罪判決を出さなければなりません。</p>

<p>しかし合議の場で、裁判官が有罪方向に強く誘導したのでしょう、結果は有罪判決となりました。裁判官が裁判員に対して法の規定を正しく説示していれば、無罪に傾いていたはずであるにもかかわらずです。<br />
そうした意味からは、弁護側がこうした刑事訴訟法の考え方をしっかり裁判員に説明できていなかった、といえるようにも思います。</p>

<p>いずれにしても、注目すべき否認事案の第一号判決。ほぼ予想どおりの結果とはいえ、したたかな裁判所の対応ぶりが窺えます。本来、このような事案で無罪判決が出されれば、警察等はずっときめ細かい捜査が要求され、それだけで冤罪事件は激減するはずなのですが...。<br />
しかしまだわずかに一件目です。ここで記したような本来の発想を広めていけば、司法も捜査機関も変わらざるをえないはずです。まあ焦らずに行くとしましょう。<br />
</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>有効利用敷地も、広大地の減額ができる</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.moritax.jp/column/002/post-16.html" />
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    <published>2009-11-04T11:55:21Z</published>
    <updated>2009-11-05T14:28:53Z</updated>

    <summary>　国税当局が発表しているいわゆる「16年情報」は、アパートや賃貸マンションの敷地といった有効利用の用に供されている土地は、広大地の規定の適用除外であると記載されています。しかしそれは明らかに誤りです。以下にその理由等を簡単に説明します。 　...</summary>
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        <category term="相続を斬る！" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.moritax.jp/">
        <![CDATA[<p>　国税当局が発表しているいわゆる「16年情報」は、アパートや賃貸マンションの敷地といった有効利用の用に供されている土地は、広大地の規定の適用除外であると記載されています。しかしそれは明らかに誤りです。以下にその理由等を簡単に説明します。<br />
　なおこの点に関しての詳細は、ホームページの中の「広大地の評価はお任せ下さい」の記載内容、さらには共著「広大地の税務評価」（（株）プログレス）をご参照下さい。<br />
　<br />
（１）更地評価が前提<br />
そもそも土地の相続税評価は、（貸宅地や貸家建付地といった権利関係を除き）「更地としての評価」を行うはずのものです。つまり有効利用であれ何であれ、土地の利用状況は評価には無関係なのです。それは路線価のベースとなっている公示価格や、同じ税務評価である土地の固定資産税も同様です。</p>

<p>仮に「土地の相続税評価はその利用状況をも考慮する」というのであれば、有効利用だけであってはならないはずです。実は世の中には、ない方がいいといった建物が山ほどあります。新たな買主が購入後、直ちにその建物を取り壊すといったケースです。<br />
そうであれば、じゃまな建物がある分、土地の評価額からその取り壊し費用をマイナスしなければならないこととなります（もっといえば、その建物の評価額もゼロにすべきでしょう）。ところが現実にはそのような複雑な評価ができないからこそ、簡便性の原則により「更地としての評価」を採用していたはずです。<br />
　<br />
したがって、評価額を上げる方向に関してのみ土地の利用状況を評価に算入するというのは、整合性の観点から不合理というより他ありません。評価理論の観点から、こうしたご都合主義的な評価は許されないのです。</p>

<p>（２）大元の評価規定に違背する<br />
　次に大元の評価規定である、財産評価基本通達（評価通達）がどう定めているかを考えてみます。この規定では広大地から除外する面大地を、大規模工場用地とマンション適地等のふたつに限定しています。つまり評価通達では、その土地が有効利用に供されているかどうかに言及していません。<br />
その一方「16年情報」とは、大元の評価通達の規定をどう解釈するかに関して解説した書面です。要するに、「16年情報」は、評価通達の下位に位置するものです。</p>

<p>したがって、上位規定ともいうべき評価通達の規定が除外対象をふたつに限定している以上、下位規定ともいうべき「16年情報」によって、「除外対象を、一般の有効利用敷地にまで拡大する」かのような解釈を行うことは困難です。<br />
もっとも「そう解釈しなければこの規定の正当性が大きく損なわれてしまう」という場合であれば話は別といえるかもしれません。しかし上記(1)や下記(3)で示すとおり、この点に関してはそうしたケースには該当しません。</p>

<p>（３）土地価格をアップさせるほど収益性が高いのか<br />
実は、一般のアパートや賃貸マンションの収益性はさしたるものではありません。こうした賃貸建物の建築は、「単に遊ばしていても仕方ないから」といったケースがかなり多いと思われます。また「節税対策になるから」あるいは「銀行さんに強く勧められたから」といった場合もかなりあるでしょう。</p>

<p>それは、その賃貸の土地建物を売却した場合のことを考えれば明らかとなります。つまり「更地価格（路線価を前提とした時価）＋建物価格」（さらにこれらに貸家建付地や貸屋の減額を実施。以下これを単に「土地建物価格」という）で売れるかどうかです。そして現実には、「土地建物価格」で売れるケースは極めて限られているのが現状です。</p>

<p>こうした収益物件についての取引市場は、いわゆる「利回り」（満室前提の年間家賃収入÷売買価格）をベースとして形成されています。そして現状の中古収益物件の利回りは、７～10％（空室や修繕の少ない物件ほど利回りは低い）が要求されています。<br />
ところが先の「単に遊ばしていても仕方ないから」といった収益物件の利回りはせいぜい５～６％です。おまけに最寄り駅から遠く、空室発生の可能性が高めのものが大半となっています。したがってこれらの市場価格は先の「土地建物価格」から３～4割は下がりかねません。<br />
となればこれらの賃貸物件の相続税評価は、広大地の減額以上に引き下げてもらいたいくらいなのです。</p>

<p>とはいえ中には収益性がかなり高く、「土地建物価格」を前提とした利回りが軽く７～10％を達成している、という賃貸物件もありましょう。であればこの土地には当然に広大地の減額は不要となります。<br />
ただしそのような土地であれば、おそらくマンション適地に該当しているはずです。その結果、本来の評価通達の規定で、こうした面も手当てされていると考えるべきこととなります。</p>

<p>なお、「有効利用に供することで収益を得ているのだから評価減は不要」という考え方は、成立する余地はありません。繰り返しますが、相続税における土地の評価額は、(権利関係を除き)その土地の利用状況に影響を受けないからです。「家賃を受けている土地の方が有利」という考え方も、家賃収受による有利性は、所得課税の領域と理解すべきです。</p>

<p>（４）結 論<br />
 　以上のとおり、「16年情報」よる有効利用敷地は広大地の規定の適用除外とする見解は、評価理論、評価規定および市場価格の三つの観点から、それが誤りであることが明白となります。<br />
　したがって有効利用敷地である広大地であっても、評価通達が定めているとおり「その土地がマンション適地に該当しているか否か」を考えることのみにより、その減額規定の適用の可否を判断すべきなのです。</p>

<p>　とはいえ現実には有効利用敷地であることを理由に、当局が広大地の規定の適用を否定するケースがあるやの話です。何よりこの否定を過度に恐れることにより、この規定の適用を「自粛」してしまう場合が数多く見られるようです。<br />
　<br />
このような場合を疑問に思われる方は、当事務所にご相談いただきたく思います。上記の見解をベースに的確に対処したいと考えるしだいです。<br />
ちなみに当事務所では、大きめの賃貸マンション敷地に関して、念のため更正の請求により広大地を適用し、無事に税の還付を受けたという実績があります。その際に税務署から「念のため」という形で説明を求められましたが、当然ながら、先方は上記の三点（とりわけ(3)）の説明をすんなり受け入れています。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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<entry>
    <title>有料老人ホーム問題への審判所等の不当な対応</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.moritax.jp/column/004/post-15.html" />
    <id>tag:www.moritax.jp,2009://1.95</id>

    <published>2009-11-02T08:07:22Z</published>
    <updated>2009-11-02T23:14:40Z</updated>

    <summary> はじめに 　このブログの内容は、小規模宅地の特例の運用についての審査請求における、国税不服審判所や原処分庁の不当な対応ぶりへの批判です。つまり審査請求の内容・争点自体を直接論じたものではありません。 しかしそれら自体にも興味深いものがあり...</summary>
    <author>
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    </author>
    
        <category term="裁判を斬る！" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.moritax.jp/">
        <![CDATA[<p><br />
はじめに<br />
　このブログの内容は、小規模宅地の特例の運用についての審査請求における、国税不服審判所や原処分庁の不当な対応ぶりへの批判です。つまり審査請求の内容・争点自体を直接論じたものではありません。<br />
しかしそれら自体にも興味深いものがあり、また本稿をご理解いただくにもそれらを把握していただく必要があります。したがってそれらについても簡単にご説明いたします。とはいえその説明だけではお分かりにくいかと思います。</p>

<p>実はこの問題は、「相続を斬る」の項における、「有料老人ホームへの入所は、相続税の重税に直結する」で述べた内容についてのものです。したがってその詳細や背景事情に関しては、そちらをご覧いただきたくお願いいたします。</p>

<p>問題の核心<br />
最初に問題の核心を、たとえ話的に説明しておきたい。<br />
ある行為を禁止する原則規定があるとする。ただし一定の条件の下に、それが許されるとする例外規定がある。甲氏が例外規定に該当すると考えてその行為を行ったところ、役所から「それは例外規定に該当しない」として、甲氏を処分した。</p>

<p>これに納得しない甲氏は、「例外規定に該当する」として審査機関に訴えた。ところがその役所は、例外規定の存在に一切触れないまま、原則規定による禁止を理由に処分の正当性を主張する。甲氏はこの不当な対応を批判するが、役所はそれを無視する。<br />
そして役所を肩入れする審査機関は、やはり原則規定でその行為が禁止されているという点のみを理由として、最終的に「処分は正当」という裁決を下してしまった。</p>

<p>むろんこれは仮の話である。もしこのようなことが現実に行われるとすれば、法治国家が吹き飛んでしまう。しかしこの件では、まさにこのようなことが行われつつある。</p>

<p>事案の説明<br />
相続税では小規模宅地の特例というものがある。被相続人が自宅（生活の本拠）として使用している土地（240㎡が上限）に関しては、原則として評価額を８割減にしてくれるのだ。これは相続税額を減額するに際しての威力抜群の規定となっている。</p>

<p>とはいえ実際には、自宅に居住を続けた上で相続を迎える人は極めて限られている。まずは病院での長期の入院を経た上での場合。また入所した介護施設で亡くなる場合も多い。そしてその介護施設には、公的機関としての特別養護老人ホーム（特養）がある。<br />
さらに今日では特養は既に満杯であり、ほとんどの人は介護型有料老人ホームに入所することになる。この介護型有料老人ホームにも、介護保険料が投じられておりリーズナブルな対価で入所が可能となっている。</p>

<p>ところがこうした入院や入所を行うと、生活の本拠はそれらの施設に移ることとなり、本来であれば小規模宅地の特例を受けることができなくなる。しかし病院への入院であれば、基本的には一時的なものであると考えられるため、（長期間のものを含め）適用可能という法解釈が行われていた。そしてこれらが、先の「問題の核心」で述べたところの「原則規定」に該当する。</p>

<p>ところで国税当局は、介護施設に関しても実情に即した考えを採用する。つまり国税庁は特定の書面で、特養への入所であれば特例を適用せよ各税務署に指示しているのだ。そしてこの「特養ならＯＫ」が、先の「問題の核心」で述べた「例外規定」となる。<br />
しかし国税庁は、有料老人ホームに関しては介護型のものであっても、終身利用権が付与されていることを主な理由として、特例の適用を排除しようとしている。</p>

<p>とはいえ介護型有料老人ホームは、特養の延長線上の存在である。この両者を区分すべき合理的な理由は見いだせない。第一ほとんどの人は、特養の入所を希望したもののそれが叶えられなかったからやむを得ず有料老人ホームに入っているに過ぎない。にもかかわらず、一方のみが大特例を受けることができて、他方がダメというのは常識的にも理解できない。</p>

<p>そこで当事務所が最近、介護型有料老人ホームの入所者の相続につき、特例の適用を否認された事案につき異議申立を行った。そしてそれが棄却されたことにより、現在国税不服審判所に対して審査請求をしているわけである。</p>

<p>原処分庁の対応<br />
いうまでもなく当方の主張は、「例外規定として特養に特例を認めている以上は、それと実質的に同じ存在である介護型有料老人ホームに特例を適用しないのは不合理・不当」である。しかしこの異議申立に対する審査庁としての練馬東税務署が下した決定は、「老人ホームに入所により生活の本拠はそこに移った（つまり自宅は生活の本拠ではない）」である。要するにこれは原則規定のみの話に過ぎない。</p>

<p>しかしこちらとて原則規定の内容は十分承知している。それをいうのであれば特養もダメなはずである。そこで同じく争点を「なぜ特養がＯＫで有料老人ホームがダメなのか」とすることにより、国税不服審判所に審査請求を行った。</p>

<p>しかしこれに対する原処分庁（練馬東税務署）の答弁書は、意義決定書と全く同じもの。つまりこの例外規定に全く触れようとしないのである。おそらく彼らは「まともに例外規定を争ったのでは勝てない」と考えているのであろう。これではどうにもならない。</p>

<p>審判所の対応<br />
このような場合であれば本来、中立の立場であるはずの審判所が原処分庁に対して、「争点となっている例外規定をどう考えるのかについて主張・反論せよ」という指示を出さなければならない。その点は、争点主義を標榜する国税通則法にも明記されている。<br />
仮に原処分庁がその指示に従わないのであれば、審判所は当然に原処分庁の主張を否定する裁決を行うこととなる。だから原処分庁といえども、本来であれば審判所の指示に従うはずなのである。</p>

<p>そこで当方は、国税通則法の規定を明示した上で、審判所に対して「争点に関して原処分庁に反論させよ」と強く要請する。しかし審判所はそうした対応をとる様子は見られない。</p>

<p>　となれば原処分庁も、「なぜ特養がＯＫで有料老人ホームがダメなのか」について一切触れようとしない。要するに練馬東税務署（処分庁）は、「何もしなくとも、審判所は必ず我々を勝たせてくれる」と信じているのである。<br />
さらには以心伝心で、「下手に反論すると、相手から完全に論破されかねない。そうなると審判所が税務署を勝たせる裁決書が書きづらくなる」と考えているらしい。うるわしいまでの双方の思いやりと信頼関係である。</p>

<p>さて本日現在（11月2日）、まだ原処分庁からの反論書が届いていないが、そろそろこれが届く頃である。おそらくそれも、争点を論じることのない無意味というべき書面であろう。となれば当方は、審判所に対して国税通則法の規定を基として、精一杯の揺さぶりをかけるつもりである。<br />
なお今後の展開は、追ってこの欄で報告させていただく所存である。</p>]]>
        
    </content>
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<entry>
    <title>有料老人ホームへの入所は、相続税の重税に直結する</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.moritax.jp/column/002/post-14.html" />
    <id>tag:www.moritax.jp,2009://1.94</id>

    <published>2009-11-02T08:01:30Z</published>
    <updated>2009-11-02T12:51:39Z</updated>

    <summary> 相続税評価には小規模宅地の特例というものがある。被相続人が自宅（生活の本拠）として使用していた土地（240㎡が上限）に関しては、原則として評価額を８割減にしてくれるのだ。だから自宅の土地評価額が1億円であっても、2,000万円の評価にしか...</summary>
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        <category term="相続を斬る！" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.moritax.jp/">
        <![CDATA[<p><br />
相続税評価には小規模宅地の特例というものがある。被相続人が自宅（生活の本拠）として使用していた土地（240㎡が上限）に関しては、原則として評価額を８割減にしてくれるのだ。だから自宅の土地評価額が1億円であっても、2,000万円の評価にしかならない。この特例のおかげで相続税がかからなくなったり、課されても税額が数千万円減ったりする。威力抜群の規定なのだ。</p>

<p>とはいえ今日では、数年間という長期の病院への入院を経て亡くなる人も少なくない。この場合には生活の本拠は病院へ移ったといえよう。したがって本来であれば、先の「8割減」の適用はなくなることとなる。<br />
しかし入院は（結果として長期間になるとしても）、通常は一時的なものであるはずであるとして、医療行為のための入院である限りは「8割減ＯＫ」と取り扱われている。</p>

<p>ところが近年は、介護という問題が生じてきている。そして自宅での介護が困難な人は、行政の手により運営されている特別養護老人ホーム（特養）に入所することとなる。しかし特養に入所すれば、その人の「生活の本拠」はそこに移ってしまう。つまり「自宅の8割減」が受けられなくなることにより、相続税がドカッとかかってきかねない。</p>

<p>しかし特養の目的や理由等を勘案すると、入所者は病気治療のために入院した場合と同様の状況にあるとも考えられる。したがって国税当局は実情に即した考え方に基づき、特養の入所者についても「自宅の8割減」を適用させるべく各税務署に指示を出している。ただし当然ながら、病院や特養への入所等であっても、本来の自宅は、いつ帰ってもそこで生活できるような状況を維持していることが要件となっている。</p>

<p>ところで最近は、低廉な費用で入所できるこの特養は満杯で、何ヶ月・何年待ちという状況が続いている。したがって今日ではほとんどの人が、特養をあきらめ介護型有料老人ホームに入所している。とはいえこうした有料老人ホームは、介護保険から多額な収入を受けることにより、その入居一時金や月額費用はリーズナブルな水準に抑えている。要するに有料老人ホームは特養の延長線といった存在なのである。</p>

<p>ところが国税当局は、有料老人ホームの入居者には小規模宅地の特定を適用しないという。理由は「入居者は終身利用権を取得した上で施設に入居している。であれば生活の本拠は、自宅からそこに移ったと解される」というものだ。確かに有料老人ホームの入居契約書には、入居者の安心のために終身利用権を付与しているものがほとんどである。</p>

<p>しかし特例の適用を認めている特養も、入居者は実質的に終身利用権を得ているといってよい。繰り返すが、介護型有料老人ホームは特養の延長線上の存在なのだ。したがって特養に認められる特例が有料老人ホームには認められないというのは、全く解せない。</p>

<p>介護地獄に苦しむ者が、やむを得ず介護施設へ入居するに際して、運良く特養に入ることができれば小規模宅地の特例を受けることができる。しかしほとんどの場合は、特養が満杯のためやむを得ず有料老人ホームに入所することになる。そしてその場合にはこの特例を受けることができず、場合により数千万円の相続税を余分に課されてしまう。<br />
これは絵に描いたような不合理な税制である。一体この両者を区分することの合理性・公平性を、当局はどのように説明することができるというのであろうか。</p>

<p>おそらく有料老人ホームに関して当局は、「超高額な入居一時金やデラックスな施設を前提に、限られた極一部の資産家が悠々自適の生活をおくるためのもの」、というかなり昔のイメージを抱いているのであろう。<br />
しかし公的な介護保険料が投じられていることからも明らかなように、今日の介護型有料老人ホームはそのような存在ではない。国税当局には現実をしっかり見据えて、この特例の合理的な運用を行うことを要請したい。</p>

<p>いずれにしても、相続税が課される可能性のある人は、「有料老人ホームの入居は重税に直結する」という認識を持たなければならない。とはいっても、「重税を避けるために介護地獄を続けざるをえない」というのは無茶苦茶な話である。この点を考えるだけでも、当局の運用の理不尽さが浮き彫りとなるというものである。</p>

<p>　なお当事務所では、この不合理さに関して当局に対して争いを起こしている。現在は、当方による異議申立が棄却されたことを受け、国税不服審判所に対して審査請求を行っている段階である。<br />
　ただし税務署側は分が悪いと考えたのか、この争いに関して極めて不当な対応をとっている。そして国税不服審判所もその対応を容認するという動きを示している。<br />
　<br />
　そしてこの争いに関しては、当ブログの「裁判を斬る」の項における、「有料老人ホーム審査請求への審判所等の不当な対応」でその状況をお伝えしている。是非そちらもご覧いただきたい。</p>

<p><br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>積年の問題点の解決</title>
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    <published>2009-10-30T15:00:00Z</published>
    <updated>2009-11-02T23:20:03Z</updated>

    <summary>　資産家から相続税の申告の依頼を受けました。 　しかし遺産の全体を見ると、毎年の不動産収入の割に金融資産がかなり(１億円以上)少ないように思われます。このままの申告では税務調査を誘発することもあり、疑問は解消しておかなければなりません。そこ...</summary>
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        <name>surv</name>
        
    </author>
    
        <category term="依頼者に優しい" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.moritax.jp/">
        <![CDATA[<p>　資産家から相続税の申告の依頼を受けました。<br />
　しかし遺産の全体を見ると、毎年の不動産収入の割に金融資産がかなり(１億円以上)少ないように思われます。このままの申告では税務調査を誘発することもあり、疑問は解消しておかなければなりません。そこでざっくばらんにこの点を聞きました。</p>

<p>　しかし遺族は、「言われてみればそうネ。でもこれしかありませんよ」とのこと。となれば過去に大きな支出があったはずです。その点を強く問いただしました。すると「そういえば・・・」と、次のような話が出てきました（なお他にも約7,000万円の使途が判明）。</p>

<p>　「長男であった亡夫は、その親からほとんどの財産を相続していたのですが、10数年前に事業の失敗した亡夫の弟から頼み込まれて、約5,000万円を渡したということを耳にしている」というのです。そして「夫はこれを「身内の不始末」と考えたのか、私には詳しい話をしてくれなかった」とのことです。</p>

<p>　成る程、それで金融資産の少ない点は分かりました。しかしそうなると、その5,000万円はその時点で弟さんに贈与したのか、それとも貸しただけなのかが問題となります。むろん貸したのであれば、弟への貸し金として相続財産が5,000万円増えてしまいます。一方贈与であれば特に問題になりません（贈与税は既に時効です）。</p>

<p>　いろいろ聞いてみると、実質は贈与（つまり返してもらうつもりなし）なのですが、（甘え排除の意味から）形式的には貸したようなニュアンスでいたようなのです。そして「それ以後は、弟はこうした弱味があるため、亡夫とは疎遠になってしまった」。「亡夫の葬儀を含め、我々（未亡人とその子）には一層よそよそしい対応をとっている」。さらには「お金を返してもらう気はまったくありませんが、実は今後どうおつきあいをしていいかで困っている」というのです。</p>

<p>　これは容易ならざる話です。税務調査となれば、これは「貸し金」(つまり遺産)であると主張するでしょう。確たる贈与の形跡がないからです。しかし「貸し金」である根拠もありません。この場合のポイントは何といっても当事者の認識。つまり弟が当時どう思っていたかです（亡兄はもういません）。となると税務署が弟を訪ね、先方に有利な回答を引き出す可能性があります。</p>

<p>　こうなれば事前に弟と話をつけておかなければなりません。しかし遺族は引っ込み思案。となると私が行くより他ありません。その際には、何としても相手のプライドを傷つけないようにしつつ、本音の話に持ち込む必要があります。税務調査対策もありますが、良好な親戚関係の回復も大きな狙いだからです。</p>

<p>　結局かなり冷や冷やものでしたが、大過なく任務を果たすことができました。伝えた内容は、「亡兄は、贈与のつもりでお金を渡している。したがって遺族も返済を求める気は毛頭ない。仮に税務署から問い合わせがあったならば、"当初から贈与を受けた"と回答してほしい。今後も円満な親戚関係を続けたい」。そしてこれらにつき、先方の快諾を得ることができました。</p>

<p>　なお税務申告に際しては、金融資産が過少と思われるこれら二点についての詳細な補足説明書を添付しました。税務調査防止の特効薬は、税務署員を納得させることが一番だからです。<br />
</p>]]>
        
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    <title>遺産取得課税への変更案 批判</title>
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    <published>2009-10-27T07:17:39Z</published>
    <updated>2009-10-28T06:04:31Z</updated>

    <summary>これは平成20年８月に税務の専門紙（ＮＰ通信）に寄稿したものである。「相続の何たるか」を考える上で参考になるのではないかと思って、この欄に掲載する。なおここで批判している「遺産取得課税方式」は、「長子相続を守るべき」とする農業団体等の反対に...</summary>
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        <category term="相続を斬る！" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p>これは平成20年８月に税務の専門紙（ＮＰ通信）に寄稿したものである。「相続の何たるか」を考える上で参考になるのではないかと思って、この欄に掲載する。なおここで批判している「遺産取得課税方式」は、「長子相続を守るべき」とする農業団体等の反対により、決定直前にどんでん返し的に導入が見送られている。<br />
　　　　　　　<br />
はじめに<br />
新たな事業承継税制の創設に併せて、相続税の課税方式を、現行のいわゆる法定相続分併用方式（以下「併用方式」という）から遺産取得課税方式への改訂が検討されている。<br />
しかし遺産取得課税方式への変更には、何ら議論されていないままに放置されている極めて重大な問題がある。そこで相続税業務の第一線にいる者の立場から、これらの問題に鋭く切り込んでいきたい。</p>

<p>１．課税方式変更の必要性<br />
遺産取得課税方式は、遺産分割により各相続人が取得した遺産の多寡に応じて、それぞれに累進税率を適用して税額を算出する。この方式は戦後の一時期採用されていたが、これでは遺産分割のやり方しだいで税額が大きく増減してしまう。また累進税率を逃れために、均等に近い分割に仮装されやすいという問題もあった。<br />
そこで昭和33年から現行の「併用方式」に変更した。これは法定相続分で遺産分割がなされたと仮定して税額を算出し、この税額を実際に分割した財産の割合で負担するというもの。これならどんな遺産分割を行っても、全体の税額は変わらないで済むわけである。</p>

<p>さて新たな事業承継税制は、農地相続における納税猶予制度に準じた税の軽減策である。したがって、事業承継者がこの制度を利用すると、承継者以外の相続人の税負担も減少する。逆に承継者がこの制度から離脱すると、他の者もその軽減税額の納付を要することとなる。<br />
このように、ある者の行為により他の相続人の税負担が一蓮托生的に増減するのは不合理であるという考え方がなされた。そこで遺産取得課税方式に変更すれば、「一蓮托生」から解放される。こうして課税方式の変更への大きな流れが形成されていった。<br />
なお遺産取得税方式への変更は、課税の水平的公平が図られる等のいくつかのメリットがあるとされている。しかしその一方で、新方式への転換には後述するような点以外にも、遺産の未分割の場合の対応を含め少なからぬ問題を抱えている。</p>

<p>２．現実無視の課税方式の変更<br />
民法は均分相続を定めている。しかし実際にはそれぞれの事情により、いろいろな遺産分割が行われている。たとえば、親の面倒をみた者が自宅を含め多くを相続する、相続人固有の事情（裕福な者、障害者、既に多額な援助を受けた者、事業資金等に苦しむ者）を考慮した分割にする、等である。とりわけ地主層では、その大半を跡継ぎが取得するという長子相続的な分割が今日でもかなり行われている。</p>

<p>例えば、10億円の遺産を跡継ぎである長男が９億円、嫁に行った妹が１億円相続したとしよう。この分割は一見不平等にみえるが実質的にはそうではない。<br />
おそらく長男の相続した財産は、広い自宅と多くの貸家や貸地といったほぼ換金不可能な資産で構成されていよう。そして各方面とのつきあいを含め、本家としての体面の維持を要する。その上で巨額に課された相続税をひねり出さなければならない。また将来の相続対策も忘れるわけにはいかない。<br />
その一方妹は、金融資産の形で１億円（相続税を払っても優に5,000万円以上）を手に入れる。この資金は煮て食おうが焼いて食おうが自由な上に、実家の親の面倒をみる必要もない。したがって筆者はむしろ妹の立場の方が有利であると考える。</p>

<p>ところが新方式は、９億円もの巨額な遺産を相続したとして、長男により一層多くの税額を課す一方、妹の税負担を軽くするというもの。これでは長男は納税に窮してしまう（物納も先年の改正により極めて困難となっている）。<br />
一体この制度のどこに「課税の公平」があるというのか。その言い分は、相続財産のすべてが預貯金で構成されさらに相続に伴う諸般の義務を無視するという、実態を無視した場合のみに成立する理屈に過ぎない。</p>

<p>配分割合はどうあれ円満に分割協議が成立すれば、その分割こそがすべての事情を考慮した上での真の公平・平等となる。であればそれらの遺産に同一の税率を乗じる「併用方式」が「公平」の面でも優れている。現行の「併用方式」はよくできた制度なのであり、何ら変更する必要はないのである。<br />
しかしそうであれば、税負担に苦しむ先の長男は、分割割合を少ししでも均等に近づける体裁での申告を考える。その方が税額がかなり減少するからである。これは相続財産をごまかしたわけではない。自由とされている遺産分割の割合を、実際と少し変えたに過ぎない。</p>

<p>しかしむろんこれは遺産分割の仮装であり、明白な脱税行為である。ただし長男の気持ちも分からなくはない。つまりこの制度は仮装分割を誘引してしまうのである。<br />
これを例えていえば、やっと禁酒を決心した人の目の前に酒を置いたまま一人っきりにするようなものかもしれない。この場合には少なからぬ人が酒を飲んでしまうであろう。確かに誘惑に負けた人が悪いのは事実である。しかしそれ以前に、そうした行為を誘発するようなしくみを作る方が問題なのではあるまいか。</p>

<p>３．遺産取得課税方式への批判<br />
　この遺産取得課税方式の変更は、メリットがほとんどない上にあまりに弊害が多い。その最大の欠点はズバリ、新方式が遺産分割の割合の均等化を誘導・強要することにある。<br />
繰り返すが、遺産分割で何より大切なのは相続人の円満であり、これを達成するために均等割合と異なるさまざまな遺産分割が行われている。<br />
　<br />
ところが新方式では、均等（に近い）分割をすれば税額負担を低くするという。つまり国が「遺産は均等に分割せよ」と言っているに等しい。これは税の大原則である「税の中立」に明白に違背する。このような税制は許されるものではない。<br />
　実は円満な遺産分割とはいえ、かなり微妙な中に成立しているケースも多い。誰しも遺産は少しでも多く欲しいのだ。しかし跡を継ぐ人や親の面倒を看る人等の苦労を周りが理解するからこそ、何とか妥当な分割が成立している。<br />
　しかし新方式より、不均等な分割は余分な税負担を招く。となれば「皆のために、なるべく均等に」という財産欲しさの声が一気に高まろう。これではあるべき遺産分割に大きな支障が生じる。</p>

<p>　話を大きくする。結局のところこの新方式は均分的な相続をかなり強力に推し進めていくことになる。その結果、数十年間という長い間には長子相続的なものが廃れていく。つまり大地主層が没落し、それらの資産を分割相続した小振りの資産家が増えていくわけだ。<br />
　となれば、大地主の本家にふさわしい大型建築のニーズは激減する。広い庭の植木を入念に手入れする必要もかなり減るだろう。つまりこれらを担ってきた建築関係や植木等の腕利き職人が大きく減ることを意味する。さらに地域の祭礼その他の行事を支えてきた地元の名士もいなくなる。こうして、我が国特有の技術や伝統・文化が廃れていくのである。<br />
　また資産家の減少は高級住宅地の崩壊を招く。こうした土地は相続人により分割され換金されていくからである（郊外の地主の広い自宅敷地も同様）。こうした動きは、バブル崩壊により顕在化した土地の供給過多に拍車をかけ、一層の地価下落を招来する。</p>

<p>ところで、これらの措置は事業承継促進のためのものという。しかし地主層の所有する一連の資産も、いわば地主業継続のために分割されては困る資産となっている。そして上記のとおり地主層の存続は、多くの面で地域社会に貢献している。<br />
こうした中にあって、地主業の承継に甚大な負担をかけさせることにより、特定の事業承継の円滑を計るという。これは致命的な矛盾というより他ない。</p>

<p>４．本音の話<br />
　ここで本音の話をしよう。実は新方式への移行は新たな事業承継税制にとって必須の要件ではない。税額控除を少し工夫すれば、事業承継者の税の軽減は他の相続人に無関係にできるからである。<br />
　ではこれは何のために行われるのか。むろんそれは相続税の増税の手段に過ぎない。この制度改正の過程で、財務省はあちこちに増税装置を仕掛けている。その上で「これは増税のための改正ではない。新たな事業承継税制を導入した結果として増収になったに過ぎない」と言いたいのだ。こうした増税策は、税務当局の得意技なのである。</p>

<p>しかし客観情勢をみれば、普通に増税を訴えれば十分に世の理解を得られるのではあるまいか。平成６年の大減税以降は全国的に地価は大きく下落している。相続税収も納税者の割合も大きく減少しているのだ。<br />
まして今日、アパート暮らしの人も相応の消費税を負担している。その中にあって、1億円もの資産の相続が無税というのは通るまい。したがって平成６年の減税措置を元に戻すことを中心とする増税を堂々と訴えればよいのである。<br />
相続税は過去の数十年間で、武蔵野の緑をほとんど壊滅させた。未だに残るわずかな個人所有の雑木林等を目にするにつけ、「地主に相続が発生すれば、納税資金のためにこの緑も開発されてしまうのか」と寂しい思いをする。相続税の遺産取得課税方式の採用により、新たな荒廃を発生させてはならないのである。<br />
</p>]]>
        
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    <title>無神経な役所の対応</title>
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    <published>2009-10-27T06:51:12Z</published>
    <updated>2009-10-28T05:47:51Z</updated>

    <summary>先頃、地権者からの依頼により、区画整理事業地内の土地処理に関する折衝の助っ人を行った。事業の施工者は東京都。地権者の所有地を別の土地に換地することについて、事業者である都の担当者から同意を求められたのだ。 その所有地には小ぶりの賃貸マンショ...</summary>
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        <![CDATA[<p>先頃、地権者からの依頼により、区画整理事業地内の土地処理に関する折衝の助っ人を行った。事業の施工者は東京都。地権者の所有地を別の土地に換地することについて、事業者である都の担当者から同意を求められたのだ。</p>

<p>その所有地には小ぶりの賃貸マンションが建っている。したがってマンションの建て替え費用の金額、さらには移転・建替え期間の賃料補償等の額についての合意も必要となる。そこで地権者とともに、担当者からこうした内容や金額の算定根拠の説明を受けたわけだが、賃料補償額の算定に強い疑問が生じた。一律の算定方式が、この地権者特有の賃貸方式（管理事業者による家賃保証方式）にマッチしていないのだ。</p>

<p>そもそもこの区画整理事業は、施工者と地権者は対等の立場で契約を締結することにより実現される。納得がいかなければ、地権者は判子を押さなければいい。だから当方は、「こんな画一的な補償の話には乗れない。実態に合う算定方式にしてくれ」と突っぱねた。</p>

<p>すると先方は、「算定方式はあらかじめ都が決めている。これに従っていただくしかない」という。そこで「そんな杜撰なルールがあるとは思えない。例外規定があるはずだから、その補償方式を定めた規定を見せてくれ。」と要求すると、「内部規定は情報公開制度に基づかない限り見せるわけにはいかない」という。「冗談はやめてくれ。それは相手の了解を得ようという対応ではない」。</p>

<p>本音を言えば、「いかに不合理であれ、都がいったん決めたルールを変えないであろう」ということは先刻承知している。また、「ある程度は画一的な処理を行わなければ行政は立ちいかない」ということもよく分かる。<br />
しかしこのケースでは、明らかに（勉強不足に起因する）不合理な画一的処理であった。何よりこうした点の指摘を受けても、先方は（さすがに口には出さないものの）「そんなことを言われてもどうにもならない。とにかく判子を押してくれ」という対応をする。人間のできていない私はこうした対応に我慢ができない（ありがたいことに地権者もほぼ同じ考えであった）。結局その日は完全に「決裂」となった。</p>

<p>次回の面談では、責任者としての課長ともう一人の担当者が出てきた。その場では、「不合理であるとしても、都という組織決定を変えることができない」という点の当方への説明の仕方を、次のようにとことん説教した。<br />
一般の民間であれば、このような言い分は通用しない。だから担当者はこの不合理を土下座せんばかりに詫びるしかない。その上で「曲げて、了解していただきたい」と懇願するはずだ。それらにより、はじめて要請を受けた側も納得するのである。</p>

<p>しかし公務員は、頭の下げ方を知らない。下手をすると「頭を下げない」ことを当然とさえ思っている。だから「都が決めた以上は仕方がないんですよ」などといった話し方しかできない。<br />
こうした説教により、二人は分かってきたようだが、41才の課長（管理職登用のためのペーパー試験の合格者）はまるで理解しようとしない。その上で「対等の関係だからお互い歩み寄って...」などとシャーシャーと言う。実態は「ぐずぐず言わずに都の定めたものを受け入れろ」と言っているに等しいにもかかわらずである。むろんその日も「決裂」である。</p>

<p>同じようなことをさらに二回行った（三度目からは、こちらの事務所に来させた）。その過程でさすがの課長も分かってきたらしい。当方も「もう潮時」と思っていた五回目のことである。追い詰められていたのか、先方は裁量が効くギリギリの数値なのであろう、わずかばかりの補償額のアップの話を持ち込んできたものだ。それやこれやでその場で手を打つこととした。</p>

<p>最後に三人に対して、「話は、相手の気持ちを考えつつ行う」旨を力説した。とにかく公務員の話は、「無神経」の一語に尽きるからである。民間の商談はもちろん、一般の会話であってもこうした「無神経」は通用しないのだ。そして三人にはこれらを十分に理解してもらった（と思う）。</p>

<p>さてそのすぐ後に、地権者から今後の手続きの確認の話に入っていった。「そうすると、まずこの時期に補償額全体の８割のお金が私に振り込まれるんですよね」。「はいそのとおりです。８割以下の金額をお渡しします。そしてそれから......」。<br />
　「ちょっと待って下さい。８割以下とはどういうことですか」。「えっ、８割以下が何か？」（他の二人もけろっとしている）。「だって８割以下というのであれば、４割とか５割とかもあるわけでしょう。話がまるで違うじゃないですか」。地権者はやや焦り気味に聞く。<br />
「ああ成程、そういうことですか。いや８割以下というのは、仮に全体が何千万円であるとして、その８割ぴったりの数値に万円未満の端数が出た場合には、その端数を切り捨てた額にするという意味です。これを「８割以下」と言ったんです」。<br />
　<br />
彼らはいつも平気でこういう無神経な説明をしている。「８割以下」と言われれば、誰だって「４割とか５割かもしれない」と思う。こうした相手の気持ちに思いを致すことができない。おそらく彼らは「８割という約束だったが、3,500円少ない。どうしてくれる」といった難癖をつけられのをいやがって、「８割以下と言っておけば問題なかろう」と考えているのであろう。要するに「自分さえ安全であれば、相手がどのように困惑しようが知ったことではない」というわけである。</p>

<p>　むろん当方はその場で、こうした無神経ぶりをこっぴどくこき下ろした。これを聞いた三人は、あらためて「話は、相手の気持ちを考えつつ行う」ことについて、「成る程」という顔をしたのだ。<br />
いやはや何と先の長いことか。三人には今後の健闘を祈るより他なかったのである。<br />
</p>]]>
        
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